アドゥワ誠 あどぅわ・まこと | 1998.10.2 | 広島5巡目 |
球 歴 | 出水中→松山聖陵高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 出水南小1年で熊本中央リトルに入り、5年のとき全国大会に出場。出水中時代は熊本中央シニアで投手兼遊撃手。松山聖陵高では1年秋にベンチ入り。2年秋にエースとなり、四国大会に出場。3年夏には甲子園初出場を果たした。父はナイジェリア人で、母はバレーボール選手。 |
有吉優樹 ありよし・ゆうき | 1991.3.12 | ロッテ5巡目 |
球 歴 | 大網中→東金高→東京情報大→九州三菱自動車 | 投 手 右右 |
経 歴 | 東金高では遊撃手兼投手で1番を打つ。東京情報大で投手に専念し、2年秋からリーグ戦に登板。4年春にはエースとなり、秋には5勝、55奪三振で最多勝と奪三振王の2冠を獲得。リーグ通算13勝7敗、防御率2.10。九州三菱自動車では1年目から活躍。 |
飯田大祐 いいだ・だいすけ | 1990.9.19 | オリックス7巡目 |
球 歴 | 阿見中→常総学院高→中央大→ホンダ鈴鹿 | 捕 手 右右 |
経 歴 | 阿見小で軟式野球を始め、阿見中時代も軟式でプレーした。常総学院高では1年夏に甲子園でベンチ入りしたが出場はなし。2年夏には捕手で8番を打ち、秋から4番を打って3年に夏も甲子園に出場。中央大では1年春からリーグ戦に出場し、3年春にレギュラーとなり、ベストナイン。プロ志望届を提出したが指名されず、ホンダ鈴鹿に入社。 |
池田 駿 いけだ・しゅん | 1992.11.29 | 巨人4巡目 |
球 歴 | 出雲崎中→新潟明訓高→専修大→ヤマハ | 投 手 右右 |
経 歴 | 出雲崎中時代は軟式でプレー。新潟明訓高では2年春にエースとなり、3年夏は甲子園でベスト8に進む。専修大では1年春から2部リーグに登板。2年春のリーグ戦後に肘の手術をしたが、3年秋にはエースとして復帰。2部リーグ通算13勝16敗(1部では0勝3敗)。ヤマハでは1年目からリリーフ投手として活躍した。 |
池田隆英 いけだ・たかひで | 1994.10.1 | 楽天2巡目 |
球 歴 | 唐津五中→創価高→創価大 | 投 手 右右 |
経 歴 | 唐津成和小4年で軟式野球を始めて捕手となり、6年で投手に転向。唐津五中ではボーイズリーグの東松でプレーし、2年夏に全国大会準優勝。創価高では1年秋にベンチ入り、2年秋にエースとなるが、3年で右膝前十字靱帯断裂となり、夏はリリーフで登板した。創価大では2年春からリーグ戦に登板。4年秋には4勝をあげてリーグ優勝に貢献。 |
石井一成 いしい・かずなり | 1994.5.6 | 日本ハム2巡目 |
球 歴 | 小川中→作新学院高→早大 | 内野手 右左 |
経 歴 | 小学校時代に軟式野球を始め、小川中時代も軟式でプレー。作新学院高では2年夏から3季連続して甲子園に出場し、2年夏はベスト4。早大では1年春からリーグ戦に出場、3年春にショートのレギュラーとなる。ベストナイン1回。 |
石垣雅海 いしがき・まさみ | 1998.9.21 | 中日3巡目 |
球 歴 | 酒田三中→酒田南高 | 内野手 右右 |
経 歴 | 小3で野球を始める。酒田南高では1年春から三塁手のレギュラーとなるが、2年春にはライトで4番を打つが、プロ入りを目指すため3年春に遊撃手に転向。高校通算37本塁打。 |
石原 彪 いしはら・つよし | 1999.3.8 | 楽天8巡目 |
球 歴 | 向島東中→京都翔英高 | 捕 手 右右 |
経 歴 | 小2で軟式野球を始め、捕手となる。中学時代は南山城ボーイズでプレーし、U15日本代表で4番捕手をつとめた。京都翔英高では1年夏から4番を打ち、3年夏に甲子園に出場。高校通算42本塁打。 |
糸原健斗 いとはら・けんと | 1992.11.1 | 阪神5巡目 |
球 歴 | 大東中→開星高→明大→JX-ENEOS | 内野手 右左 |
経 歴 | 雲南西小2年で軟式野球を始め、投手となる。大東中では軟式で遊撃手としてプレーした。開星高では1年秋に1番打者となり、中国大会で9打席連続安打を記録した注目を集めた。甲子園に3回出場。高校通算29本塁打。明大では1年秋から出場し、3年春に三塁手のレギュラーとなる。JX-ENEOSに入社。 |
今井順之助 いまい・じゅんのすけ | 1998.5.25 | 日本ハム9巡目 |
球 歴 | 陶都中→中京高 | 内野手 右左 |
経 歴 | 精華小3年で軟式野球を始め、陶都中時代は父が監督の岐阜東濃リトルシニアでプレーした。中京高では1年春から一塁手のレギュラーとなり、夏には4番を打つ。高校通算68本塁打。父は元プロの今井茂(阪急)、母はプロゴルファー。 |
今井達也 いまい・たつや | 1998.5.9 | 西武1巡目 |
球 歴 | 鹿沼西中→作新学院高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 小1で野球を始める。鹿沼西中時代はポニーリーグ鹿沼でプレー。作新学院高では2年夏にベンチ入りしたが、甲子園ではベンチ外。秋にエースとなり、3年夏の甲子園では全試合に先発して全国制覇。 |
梅野雄吾 うめの・ゆうご | 1999.1.13 | ヤクルト3巡目 |
球 歴 | 佐賀昭栄中→九産大九産 | 投 手 右右 |
経 歴 | 佐賀新栄小5年で軟式野球を始め、遊撃手として佐賀選抜に選ばれる。昭栄中時代はフレッシュリーグの佐賀フィールドナインでプレーし、3年のとき二塁手として全九州少年野球鹿児島大会で優勝。3年の冬に投手に転向して九産大九産に進学、2年春にエースとなる。秋の県大会では準決勝の対福岡大大濠高戦でノーヒットノーランを達成。 |
大江竜聖 おおえ・りゅうせい | 1999.1.15 | 巨人6巡目 |
球 歴 | 座間南中→二松学舎大付高 | 投 手 左左 |
経 歴 | 座間東原小で軟式野球を始め、外野手兼投手。座間南中時代はヤングリーグの横浜ヤング侍でプレーした。二松学舎大付高では1年夏に背番号18で甲子園に出場し、リリーフとして2試合に登板。2年選抜では松山東高から16三振を奪いながらも惜敗した。 |
大山悠輔 おおやま・ゆうすけ | 1994.12.19 | 阪神1巡目 |
球 歴 | 千代川中→つくば秀英高→白鴎大 | 内野手 右右 |
経 歴 | 宗道小1年で軟式野球を始める。千代川中時代も軟式でプレー。つくば秀英高では1年から遊撃手で3番を打ち、2年からは投手も兼任。高校通算30本塁打。白鴎大では三塁手に専念し1年春からリーグ戦に出場。4番を打ち、4年春にはリーグ記録の8本塁打を記録し、日米大学選手権でも4番を打つ。リーグ通算15本塁打で、投手としても登板した。 |
岡崎大輔 おかざき・だいすけ | 1998.9.17 | ヤクルト3巡目 |
球 歴 | 幸手東中→花咲徳栄高 | 内野手 右左 |
経 歴 | 小学校時代に軟式野球を始める。幸手東中時代は久喜シニアでプレーし、関東大会に出場。花咲徳栄高では1年秋から二塁手のレギュラー。2年夏からはショートで3番を打つ。 |
尾仲祐哉 おなか・ゆうや | 1995.1.31 | DeNA6巡目 |
球 歴 | 則松中→高稜高→広島経済大 | 投 手 右左 |
経 歴 | 折尾西小時代に軟式野球を始め、則松中でも軟式でプレーした。高稜高では遊撃手を経て、2年秋に遊撃手から投手に転向。広島経済大では1年秋にエースとなる。4年春には5勝をあげた。リーグ通算20勝、246奪三振。 |
小野泰己 おの・たいき | 1994.5.30 | 阪神2巡目 |
球 歴 | 上津役中→折尾愛真高→富士大 | 投 手 右右 |
経 歴 | 大原小1年でソフトボールを始める。上津役中でも軟式でプレーした。折尾愛真高では2年秋にエースとなり、3年春の福岡北部大会準々決勝で好投して注目を集めた。プロ志望届を提出したが指名されず、富士大に進学。2年春からリーグ戦に登板。4年秋には5勝をあげて、MVPとベストナインを獲得した。 |
笠原祥太郎 かさはら・しょうたろう | 1995.3.17 | 中日4巡目 |
球 歴 | 新津二中→新津高→新潟医療福祉大 | 投 手 左左 |
経 歴 | 結小2年で野球を始め、新津二中時代は軟式でプレーした。新津高では1年秋から公式戦に登板し、2年春にエースとなる。3年夏は県大会2回戦で敗退。新潟医療福祉大野球部に1期生として進学し、3部リーグからスタート。3年秋に1部に昇格すると、73奪三振のリーグ記録を樹立。4年春には6勝0敗、防御率0.72をあげて、最多勝と防御率1位を獲得。50イニングで64奪三振を記録した。 |
加藤拓也 かとう・たくや | 1994.12.31 | 広島1巡目 |
球 歴 | 中野八中→慶応高→慶大 | 投 手 右右 |
経 歴 | 鷺宮小2年で野球を始め、4年で東京中野リトルに転じた。中野八中時代は杉並シニアで捕手をつとめた。慶応高1年秋に投手に転向し、3年春からエース。慶大では1年春からリーグ戦に登板。4年秋の東大戦では史上初のノーヒットノーラン&ホームランを記録、早慶戦では通算300奪三振も記録した。リーグ通算26勝、309奪三振。 |
狩野行寿 かりの・ゆきかず | 1994.7.31 | DeNA7巡目 |
球 歴 | 霞ヶ関西中→川越工→平成国際大 | 内野手 右右 |
経 歴 | 霞ヶ関西中から川越工に進み、3年夏は2番を打つ。平成国際大では1年からリーグ戦に出場、2年春の作新学院大戦では、1イニング2発を含む、1試合3本塁打9打点を記録した。 |
菊沢竜佑 きくさわ・りゅうすけ | 1988.5.16 | ヤクルト6巡目 |
球 歴 | 桜中→秋田高→立教大→横浜金港クラブ→米国独立リーグ→相双リテック | 投 手 右右 |
経 歴 | 小4で野球を始める。秋田高では1年秋にベンチ入り、2年秋には東北大会に出場。立教大でも1年春からリーグ戦に登板したが、けがもあってリーグ通算1勝1敗。1年間のブランクを経て、2012年に横浜金港クラブに入団。13年の都市対抗予選では三菱重工横浜相手に好投して注目を集めた。14年秋の巨人に入団テストに合格したが指名されず、15年は渡米して独立リーグでプレーした。16年帰国して軟式の相双リテックでプレー、秋の高松宮賜杯全国大会の準決勝でノーヒットノーランを達成。 |
京田陽太 きょうだ・ようた | 1994.4.20 | 中日2巡目 |
球 歴 | 寺井中→青森山田高→日大 | 内野手 右左 |
経 歴 | 寺井小2年で軟式野球を始め、遊撃手となる。寺井中時代は白山能美ボーイズでプレーした。青森山田高に進学し、1年春から遊撃手のレギュラーとなるが、甲子園には出場できなかった。日大でも1年春の開幕戦に7番DHで出場、シーズン後半には遊撃手のレギュラーとなり、3年春からは4番を打つ。 |
京山将弥 きょうやま・まさや | 1998.7.4 | DeNA4巡目 |
球 歴 | 北大路中→近江高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 晴嵐小1年で軟式野球を始める。北大路中時代は草津シニアでプレーし、全国大会に2回出場。近江高では1年夏からベンチ入り、3年夏に甲子園に出場。 |
九鬼隆平 くき・りゅうへい | 1998.9.5 | ソフトバンク3巡目 |
球 歴 | 枚方蹉だ中→秀岳館高 | 捕 手 右右 |
経 歴 | 枚方蹉だ西小5年で野球を始める。枚方蹉だ中時代は枚方ボーイズでプレーし、全国大会5冠。鍛冶舎監督の秀岳館高監督就任に従って同校に進学し、1年春からベンチ入り。2年秋の九州大会では2本塁打を打った。3年春夏連続して甲子園に出場。高校通算27本塁打。父は池田高で4回甲子園に出場し、松下電器でも活躍した九鬼義典。 |
黒木優太 くろき・ゆうた | 1994.8.16 | オリックス2巡目 |
球 歴 | 日吉台中→橘学苑高→立正大 | 投 手 右左 |
経 歴 | 小2で野球を始める。日吉台中時代は港北シニアでプレーした。橘学苑高2年秋に内野手から本格的に投手に転向。プロ志望届を提出したが指名されず、立正大に進学。1年秋からベンチ入りし、東都大学2部で通算18勝。4年春の試合中に転倒して肩を負傷した。 |
源田壮亮 げんだ・そうすけ | 1993.2.16 | 西武3巡目 |
球 歴 | 明野中→大分商→愛知学院大→トヨタ自動車 | 内野手 右左 |
経 歴 | 明野西小3年でソフトボールを始め、投手兼遊撃手。明野中時代は大分明野ボーイズでプレーした。大分商では1年春からベンチ入り、秋には遊撃手のレギュラーとなる。3年春に県大会準優勝。愛知学院大では1年春からリーグ戦に出場し、秋から遊撃手のレギュラー。4年秋にはベストナイン。トヨタ自動車でも1年目から公式戦に出場。 |
郡 拓也 こおり・たくや | 1998.4.25 | 日本ハム7巡目 |
球 歴 | 三鷹一中→帝京高 | 捕 手 右右 |
経 歴 | 小1で野球を始める。三鷹一中時代は武蔵府中シニアでプレーした。帝京高では2年春からセンターで6番を打つ。夏には二塁手となり、秋からは正捕手で4番を打つ。3年春の都大会では投手としても登板している。夏の東東京大会では1イニングに二盗・三盗・本盗を決めて注目を集めた。高校通算12本塁打。 |
古賀優大 こが・ゆうだい | 1998.8.7 | ヤクルト5巡目 |
球 歴 | 柳城中→明徳義塾高 | 捕 手 右右 |
経 歴 | 東宮永小1年で軟式野球を始める。柳城中時代は投手兼遊撃手。明徳義塾高に進学して1年秋に捕手のレギュラーとなる。2年夏は6番を打って甲子園に出場、秋からは4番。3年夏は甲子園ベスト4まで進み、16打数10安打を記録した。 |
小林慶祐 こばやし・けいすけ | 1992.11.2 | オリックス5巡目 |
球 歴 | 佐倉井野中→八千代松陰高→東京情報大→日本生命 | 投 手 右右 |
経 歴 | 佐倉青菅小時代に軟式野球を始める。佐倉井野中でも軟式でプレーした。八千代松陰高では控え投手で、3年夏の県大会も初戦敗退。東京情報大では2年春からリーグ戦に登板、3年春にはエースとして5勝をあげてリーグ優勝、大学選手権でも登板した。 |
才木浩人 さいき・ひろと | 1998.11.7 | 阪神3巡目 |
球 歴 | 王塚台中→須磨翔風高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 出合小1年で野球を始め、外野手となる。王塚台中時代は軟式でプレーし、2年で外野手から投手に転向。須磨翔風高では1年秋から背番号10でベンチ入りし、2年春の県大会ではベスト4まで進んだ。 |
酒居知史 さかい・ともひと | 1993.1.2 | ロッテ2巡目 |
球 歴 | 招堤北中→龍谷大平安高→大阪体育大→大阪ガス | 投 手 右右 |
経 歴 | 樟葉南小1年で野球を始め、遊撃手となる。招堤北中時代は枚方シニアで投手としてプレーし、全国大会にも出場。龍谷大平安高では1年秋に背番号10でベンチ入りし、2年夏に甲子園に出場。秋にはエースとなった。大阪体育大でも1年春からリーグ戦に登板。3年春から先発投手として活躍、秋には5勝をあげて優勝に貢献、MVPに選ばれた。リーグ通算15勝。大阪ガスでも1年目から活躍し、2015年の都市対抗では久慈賞と若獅子賞を受賞。 |
坂倉将吾 さかくら・しょうご | 1998.5.29 | 広島4巡目 |
球 歴 | 酒々井中→日大三高 | 捕 手 右左 |
経 歴 | 酒々井小で野球を始め、酒々井中時代は八千代中央シニアで捕手としてプレーした。日大三高では1年秋から外野手で4番を打つ。秋からは捕手に復帰。高校通算20本塁打。 |
佐々木千隼 ささき・ちはや | 1994.6.8 | ロッテ1巡目 |
球 歴 | 日野三沢中→都立日野高→桜美林大 | 投 手 右右 |
経 歴 | 日野八小2年で野球を始める。日野三沢中時代は軟式でプレーし都大会ベスト8。日野高では1年夏からベンチ入り。2年冬の東京都選抜による米国選抜には野手として参加するなど、高校通算38本塁打の強打者としても知られた。桜美林大では、4年春の開幕戦対日体大戦で151kmをマーク、リーグ1位の防御率0.27を記録。夏の日米大学野球では153kmを記録。また、春から秋にかけて53イニング連続無失点も記録。4年春秋合わせて7完封は、リーグタイ記録。リーグ通算25勝。 |
佐野恵太 さの・けいた | 1994.11.28 | DeNA9巡目 |
球 歴 | 灘崎中→広陵高→明大 | 内野手 右左 |
経 歴 | 彦崎小1年で野球を始め、投手となる。灘崎中時代はヤングリーグでプレーした。広陵高では2年春に遊撃手としてベンチ入り、夏には二塁手として出場した。秋の大会後捕手に転向。明大では一塁手となり、2年春からリーグ戦に出場。4年春からは中軸を打つ。リーグ通算6本塁打。 |
沢田圭佑 さわだ・けいすけ | 1994.4.27 | オリックス8巡目 |
球 歴 | 久谷中→大阪桐蔭高→立教大 | 投 手 右左 |
経 歴 | 荏原小1年で砥部リトルに入り、投手となる。久谷中時代はえひめ西シニアでプレーした。大阪桐蔭高に進学して1年秋にベンチ入りしたが、同期に藤浪晋太郎がいたためずっと控えだった。立教大では1年春からリーグ戦に出場。リーグ通算22勝。 |
島 孝明 しま・たかあき | 1998.6.26 | ロッテ3巡目 |
球 歴 | 井野中→東海大市原望洋高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 青菅小1年で軟式野球を始め、捕手となる。井野中時代は佐倉シニアで投手としてプレーし、3年夏に全国大会ベスト4。東海大市原望洋高では1年夏に控え投手として甲子園に出場。2年秋にエースとなり、3年春に県大会で優勝、関東大会では150kmを記録した。 |
進藤拓也 しんどう・たくや | 1992.7.16 | DeNA8巡目 |
球 歴 | 協和中→西仙北高→横浜商大→JR東日本 | 投 手 右右 |
経 歴 | 峰吉川小1年で野球を始め、外野手となる。5年で投手となり、協和中時代は一塁手兼投手としてプレーしたが補欠だった。西仙北高では1年秋からベンチ入りし、2年秋にエース。3年夏は40イニング無失点の県タイ記録を樹立して準決勝まで進んだ。横浜商大では2年春からリーグ戦に登板したが、1年上に岩貞(阪神)と西宮(楽天)がいたため、おもにリリーフ投手をつとめる。リーグ通算2勝。 |
菅原 秀 すがはら・しゅう | 1994.4.5 | 楽天4巡目 |
球 歴 | 山田東中→福井工大福井高→大阪体育大 | 投 手 右左 |
経 歴 | 大阪山田一小ではサッカー選手。山田東中で野球に転じた。福井工大福井高に進学して2年春にベンチ入りし、秋にはエースとなる。故障ののち3年夏に復帰、北陸高戦では17奪三振を記録、甲子園にも出場した。大阪体育大では1年秋からリーグ戦に登板。2年春に故障して低迷したが、4年春に復活。秋にはMVPを獲得した。 |
鈴木将平 すずき・しょうへい | 1998.5.20 | 西武4巡目 |
球 歴 | 吉原二中→静岡高 | 外野手 左左 |
経 歴 | 今泉小で野球を始め、投手となる。吉原二中では蒲原シニアで1番打者としてプレーし、3年春に全国大会に出場。静岡高では1年春からライトで7番を打ち、夏から甲子園に3季連続出場。2年からは1番を打つ。高校通算21本塁打。 |
高田萌生 たかた・ほうせい | 1998.7.4 | 巨人5巡目 |
球 歴 | 明徳義塾中→創志学園高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 小3でソフトボールを始める。明徳義塾中に野球留学し、3年春には投手として四国大会出場。創志学園高に進学、1年からベンチ入りし、翌年1月には150kmをマークして注目を集めた。2年夏にはエースとなり、県大会決勝に進出。秋は県大会3位ながら中国大会を制した。3年夏甲子園に出場。 |
高梨雄平 たかなし・ゆうへい | 1992.7.13 | 楽天9巡目 |
球 歴 | 高階西中→川越東高→早大→JX-ENEOS | 投 手 左左 |
経 歴 | 小3で野球を始めて投手となり、高階西中時代は川越シニアでエース川越東高では1年春からベンチ入りし、秋からエース。2年秋からは4番も打つ。早大では1年春からリーグ戦に登板。3年春の対東大戦で史上3人目の完全試合を達成した。リーグ通算11勝。JX-ENEOSに入社し、2016年サイドハンドに転向。 |
高橋昂也 たかはし・こうや | 1998.9.27 | 広島2巡目 |
球 歴 | 栗橋東中→花咲徳栄高 | 投 手 左左 |
経 歴 | 小3のときサッカーから野球に転じる。栗橋東中時代は久喜シニアでプレーし、関東大会に出場。花咲徳栄高では1年秋にベンチ入りし、2年夏は背番号18ながらリリーフ投手として県大会7試合に登板。甲子園でも3試合でリリーフした。2年春、3年夏と3季連続して甲子園に出場。3年夏の県大会5回戦の対滑川総合高戦では、6回参考記録ながら14奪三振の完全試合を達成した。 |
高山優希 たかやま・ゆうき | 1998.5.17 | 日本ハム5巡目 |
球 歴 | 城東中→大阪桐蔭高 | 投 手 左左 |
経 歴 | 城東小で野球を始める。城東中時代は大阪東ボーイズでプレーし、3年夏にNOMOジャパンで米国に遠征。大阪桐蔭高では1年秋の府大会に登板、2年春には甲子園でも登板した。秋の神宮大会準決勝高松商戦の9回に登板、150kmを出して注目を集めた。 |
高良一輝 たから・かずき | 1994.6.25 | 日本ハム3巡目 |
球 歴 | 豊見城中→興南高→九州産大 | 投 手 右右 |
経 歴 | 豊見城小1年で軟式野球を始める。豊見城中時代は豊見城オーシャンボーイズでプレーし、3年のときジャイアンツカップに出場。興南高では1年夏にベンチ入り、登板機会はなかったが全国優勝。3年夏は県大会2回戦で敗れた。九州産大に進学、2年秋の九州大学選手権決勝の対日本文理大戦でノーヒットノーランを達成。3年春には九州工大戦で18奪三振を記録してMVPを獲得、大学選手権では初戦の仙台大戦で16奪三振を記録した。リーグ通算16勝。 |
田中和基 たなか・かずき | 1994.8.8 | 楽天3巡目 |
球 歴 | 高取中→西南学院高→立教大 | 外野手 右両 |
経 歴 | 高取小3年で野球を始め、当時から両打ち。高取中時代は1年夏まで硬式でプレーしていたが、軟式に転向した。西南学院高では捕手で、3年夏は県大会3回戦で敗退。高校通算18本塁打。立教大に進学して外野手に転向して左打に専念。3年秋にレギュラーとなって4本塁打を記録した。4年春からプロ入りを視野に入れて両打ちに復帰。リーグ通算9本塁打。 |
田中正義 たなか・せいぎ | 1994.7.19 | ソフトバンク1巡目 |
球 歴 | 末吉中→創価高→創価大 | 投 手 右右 |
経 歴 | 横浜上末吉小1年で野球を始める。末吉中時代は川崎中央シニアでプレーした。創価高では1年夏にエースとなるが、右肩を痛めて2年で外野手に転向。3年夏はセンター兼投手として4番を打った。創価大に投手として進学し、2年春からリーグ戦に登板。3年春はエースとして6勝0敗をマーク。夏にはユニバーシアード日本代表に選ばれ、NPB選抜との壮行試合で7連続奪三振を記録して注目を集める。秋の共栄大戦ではノーヒットノーランを達成するなど46イニング投げて無失点、史上初の防御率0.00を記録した。リーグ通算20勝。 |
谷岡竜平 たにおか・たっぺい | 1996.3.21 | 巨人3巡目 |
球 歴 | 大和中→成立学園高→東芝 | 投 手 右右 |
経 歴 | 和光白子小で軟式野球を始め、大和中時代は和光シニアで3番捕手としてプレーした。成立学園高で投手に転向、2年夏に甲子園に出場した。東芝では1年目から公式戦に登板、2年目からはエースとして活躍。 |
種市篤暉 たねいち・あつき | 1998.9.7 | ロッテ6巡目 |
球 歴 | 三沢中→八戸工大一高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 三沢小で軟式野球を始め、捕手となる。三沢中でも軟式でプレーし、2年で投手に転向、3年夏には全中に出場した。八戸工大一高では1年秋にベンチ入り、2年春からはエースで3番を打つ。秋の県大会で準優勝して東北大会に出場。 |
玉井大翔 たまい・たいしょう | 1992.6.16 | 日本ハム8巡目 |
球 歴 | 佐呂間中→旭川実→東京農大オホーツク→新日鉄住金 | 投 手 右右 |
経 歴 | 佐呂間小1年で軟式野球を始め、佐呂間中でも軟式でプレー。旭川実では1年秋からベンチ入り、3年夏は背番号11で甲子園に出場したが、登板機会はなかった。東京農大オホーツクに進学し、1年春からリーグ戦に登板、5勝をあげてエースとなる。4年秋には21イニング連続無失点も記録。リーグ通算11勝をあげ、MVPを3回獲得。新日鉄住金に入社し、1年目から活躍。 |
田村伊知郎 たむら・いちろう | 1994.9.19 | 西武6巡目 |
球 歴 | 山田中→報徳学園高→立教大 | 投 手 右左 |
経 歴 | 箕谷小2年で野球を始め、捕手となる。山田中時代は軟式でプレーし投手に転向。報徳学園高では1年春からベンチ入りし、夏には背番号10で甲子園でも登板した。2年選抜にはエースとして出場。立教大でも1年春からリーグ戦に登板。リーグ通算10勝。 |
鶴田圭祐 つるた・けいすけ | 1994.5.12 | 楽天6巡目 |
球 歴 | 守山南中→寒川高→帝京大準硬式 | 投 手 左左 |
経 歴 | 小3で軟式野球を始め、守山南中でも軟式でプレーした。寒川高に野球留学し、1年秋に投手から外野手に転向した。2年秋にはレフトのレギュラーとなり、四国大会に出場。帝京大に進学して準硬式に転じ、投手に復帰。3年春には青山学院大戦でノーヒットノーランを達成、秋のリーグ戦では149kmを記録して注目を集めた。4年秋はリーグ戦には出場せず、硬式での練習を続けた。 |
寺島成輝 てらしま・なるき | 1998.7.30 | ヤクルト1巡目 |
球 歴 | 茨木東中→履正社高 | 投 手 左左 |
経 歴 | 国分寺九小1年で野球を始める。3年で大阪府の茨木中津小に転校し、4年で茨木リトルに入り、投手としてプレーした。茨木東中時代は箕面ボーイズでプレー、3年夏には日本代表のエースとして世界一に。その後は連盟に所属しない硬式チーム・ニューヤンキースでプレーし、選抜で準優勝した履正社高に進学。1年夏には背番号18でベンチ入りし府大会にも登板した。秋にはエースとなる。3年夏甲子園に出場。 |
床田寛樹 とこた・ひろき | 1995.3.1 | 広島3巡目 |
球 歴 | 箕面学園高→中部学院大 | 投 手 左左 |
経 歴 | 小1で野球を始める。箕面学園高では1年秋からベンチ入りし、2年夏にエースとなる。中部学院大では1年春からリーグ戦に出場。3年秋にエースとなり、4年春には7勝をあげた。リーグ通算19勝。ベストナイン2回。 |
土肥星也 どひ・せいや | 1995.7.7 | ロッテ4巡目 |
球 歴 | 南郷中→尽誠学園高→大阪ガス | 投 手 左左 |
経 歴 | 氷野小1年で野球を始め投手となる。南郷中時代は大東畷シニアでプレーした。尽誠学園高では2年春からベンチ入りし、秋からエースとなる。大阪ガスでは2年目から公式戦に登板。 |
長井良太 ながい・りょうた | 1999.1.15 | 広島6巡目 |
球 歴 | 長田中→つくば秀英高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 長田南小時代は三塁手で、長田中時代は軟式で捕手をつとめた。つくば秀英高で投手に転向し、1年秋にベンチ入り。2年秋の県大会対石岡一高戦で149kmをマークした。 |
中尾 輝 なかお・ひかる | 1994.9.14 | ヤクルト4巡目 |
球 歴 | 桜田中→杜若高→名古屋経済大 | 投 手 左左 |
経 歴 | 春日野小4年で野球を始める。桜田中時代は津島ボーイズでプレーした。杜若高ではエースとして活躍。名古屋経済大では1年春からリーグ戦に登板。 |
長坂拳弥 ながさか・けんや | 1994.4.28 | 阪神7巡目 |
球 歴 | 富岡西中→高崎健大高崎高→東北福祉大 | 捕 手 右右 |
経 歴 | 丹生小3年で丹生ボーイズに入る。富岡西中では軟式でプレーした。高崎健大高崎高では2年夏と3年春に甲子園に出場。東北福祉大では1年春からベンチ入りし、3年春にはレギュラーとなって首位打者を獲得。ベストナイン2回。 |
中塚駿太 なかつか・しゅんた | 1994.12.26 | 西武2巡目 |
球 歴 | 手代木中→つくば秀英高→白鴎大 | 投 手 右右 |
経 歴 | 松代小4年で軟式野球を始める。手代木中では軟式で捕手としてプレーした。つくば秀英高では背番号11の控え投手で、3年夏は登板しないまま県大会初戦で敗退。白鴎大では1年春からリーグ戦に登板するが、リーグ通算1勝。 |
西口直人 にしぐち・なおと | 1996.11.4 | 楽天10巡目 |
球 歴 | 八尾曙川中→山本高→甲賀健康医療専門学校 | 投 手 右右 |
経 歴 | 小2で野球を始める。山本高3年夏は府大会初戦で敗退。 |
根本 薫 ねもと・かおる | 1998.7.29 | オリックス9巡目 |
球 歴 | 桜川中→霞ヶ浦高 | 外野手 左左 |
経 歴 | 桜川中時代は取手リトルシニアでプレー。霞ヶ浦高では4番を打ち、3年夏の県大会では3本塁打を記録した。 |
野元浩輝 のもと・ひろき | 1998.5.16 | 楽天7巡目 |
球 歴 | 佐世保日野中→佐世保工 | 投 手 右右 |
経 歴 | 佐世保工では1年秋に背番号9のまま実質エースとして活躍。3年夏は県大会3回戦で敗退。 |
畠 世周 はたけ・せいしゅう | 1994.5.31 | 巨人2巡目 |
球 歴 | 川尻中→近大福山高→近大 | 投 手 右左 |
経 歴 | 川尻小3年で野球を始める。川尻中時代は軟式でプレーした。近大福山高では、2年秋にベンチ入り、3年夏にエースとなる。近大では2年春からリーグ戦に登板、3年春にはリーグタイ記録の3試合連続完封を記録したが、4年秋は故障で2試合に登板したのみ。リーグ通算13勝。 |
浜口遥大 はまぐち・はるひろ | 1995.3.16 | DeNA1巡目 |
球 歴 | 基山中→三養基高→神奈川大 | 投 手 左左 |
経 歴 | 若基小1年で野球を始め、5年から投手。基山中では軟式で外野手としてプレーした。三養基高では投手となり、2年夏からエースとなるが、3年夏は県大会3回戦で敗退。神奈川大では1年春からリーグ戦に登板、2年春には4勝をあげ、大学選手権では3勝して準優勝に貢献した。3年春には6勝をあげた。リーグ通算20勝。 |
浜地真澄 はまち・ますみ | 1998.5.25 | 阪神4巡目 |
球 歴 | 元岡中→福岡大大濠高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 元岡小1年で父が監督をつとめるチームで軟式野球を始め、4年で投手となる。6年のときホークスジュニアチームに選ばれ、NPB12球団ジュニアトーナメントに出場。元岡中学時代も軟式でプレーし、3年のとき福岡選抜に選ばれる。福岡大大濠高では1年秋にベンチ入り。2年夏には背番号10のままエースとなり、3年春の県大会準々決勝の対門司学園高戦ではノーヒットノーランを達成し、九州大会では優勝したが、夏は初戦で敗退した。実家は老舗「浜地酒造」を経営。 |
平井克典 ひらい・かつのり | 1991.12.20 | 西武5巡目 |
球 歴 | 南部中→飛龍高→愛知産大→ホンダ鈴鹿 | 投 手 右右 |
経 歴 | 浅野小2年で野球を始め、投手兼遊撃手となる。南部中時代は愛知江南ボーイズで投手としてプレーした。愛知産大では1年春からリーグ戦に登板し、3年秋に1部に昇格。1部通算2勝。ホンダ鈴鹿では1年目の日本選手権から登板。 |
福永春吾 ふくなが・しゅんご | 1994.5.14 | 阪神6巡目 |
球 歴 | 高槻一中→金光大阪高→クラーク記念国際高→関西独立Lブルズ→四国IL徳島 | 投 手 右左 |
経 歴 | 高槻小時代は軟式でプレー、高槻一中時代は高槻ボーイズでプレーした。金光大阪高では1年秋にエースとなるが、2年春に骨折してライトとなる。その後、通信制のクラーク記念国際高に転校し、関西独立リーグの06ブルズに入団。エースとして活躍したが、同年リーグが消滅。2014年BFLを経て、2015年四国IL徳島に入団。 |
藤嶋健人 ふじしま・けんと | 1998.5.8 | 中日5巡目 |
球 歴 | 豊橋南部中→東邦高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 栄小2年で軟式野球を始め投手となる。豊橋南部中時代は東三河ボーイズで投手としてプレーし、3年夏には米国遠征。東邦高では1年春の県大会からベンチ入り、夏の県大会では完投勝利をあげ、甲子園に出場。2年秋からは4番で主将もつとめ、東海大会優勝。 |
藤谷洸介 ふじたに・こうすけ | 1996.2.12 | 阪神8巡目 |
球 歴 | 周南福川中→周防大島高→パナソニック | 投 手 右右 |
経 歴 | 周南福川中時代は軟式で投手としてプレー。周防大島高では一旦二塁手となり、2年夏にエースに復帰。3年春には県大会ベスト4となるが、夏は初戦で敗退した。パナソニックに入社、3年目の2016年から活躍。 |
藤平尚真 ふじひら・しょうま | 1998.9.21 | 楽天1巡目 |
球 歴 | 大貫中→横浜高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 吉野小1年で吉野ボーイズに入る。大貫中時代は千葉市シニアで三塁手兼投手としてプレー、2年春に全国優勝。3年秋にはU15代表に選ばれる。3年のとき走り高跳びでジュニア五輪に出場した。横浜高では1年春からベンチ入り、秋にはエースとなる。2年夏、秋はともに県大会準優勝。3年夏の県大会準々決勝の対横浜隼人高戦で2打席連続ホームランするなど、高校通算21本塁打も記録している。 |
古谷優人 ふるや・ゆうと | 1999.2.19 | ソフトバンク2巡目 |
球 歴 | 札内中→江陵高 | 投 手 左左 |
経 歴 | 幕別札内南小4年で野球を始め、以来投手。札内中時代は軟式でプレーした。江陵高では1年春に背番号11で登板。2年夏の十勝支部大会対帯広農戦で延長15回18奪三振で0-0で引き分け、翌日の再試合でも延長12回を完投して勝利。3年夏北北海道大会準々決勝対釧路工戦では8連続を含む20奪三振を記録。登板しない試合では1番レフトで出場。古谷拓哉(ロッテ)のまたいとこ。 |
星 知弥 ほし・ともや | 1994.4.15 | ヤクルト2巡目 |
球 歴 | 馬頭中→宇都宮工→明大 | 投 手 右右 |
経 歴 | 小4で野球を始める。馬頭中時代は軟式でプレーし、県大会ベスト8。宇都宮工では1年からベンチ入りし、2年秋の県大会では県記録タイの7者連続奪三振も記録、28イニング連続無失点も記録して注目を集めた。3年夏の県大会では150kmも記録している。明大にに進学、4年秋の対早大戦では156kmを記録。 |
細川成也 ほそかわ・せいや | 1998.8.4 | DeNA5巡目 |
球 歴 | 磯原中→明秀日立高 | 外野手 右右 |
経 歴 | 小3で北茨城リトルに入る。中学時代は福島県のいわきシニアでプレー、ジャべリックスローでジュニアオリンピックにも出場した。明秀日立高では2年春にベンチ入り、秋からは投手も兼任。高校通算63本塁打。 |
堀 瑞輝 ほり・みずき | 1998.5.10 | 日本ハム1巡目 |
球 歴 | 呉昭和中→広島新庄高 | 投 手 左左 |
経 歴 | 昭和西小2年で野球を始める。呉昭和中では軟式でプレーした。広島新庄高では1年夏からベンチ入り。2年夏、3年夏にエースとして甲子園に出場した。 |
松尾大河 まつお・たいが | 1998.4.5 | DeNA3巡目 |
球 歴 | 三島中→秀岳館高 | 内野手 右右 |
経 歴 | 三島小4年で軟式野球を始め、三島中時代は枚方ボーイズでプレーし、全国大会5冠。鍛冶舎監督の秀岳館高監督就任に従って同校に進学し、1年秋から2番ショートでレギュラー。3年春夏連続して甲子園に出場。 |
丸山泰資 まるやま・たいすけ | 1995.2.5 | 中日6巡目 |
球 歴 | 鬼崎中→東邦高→東海大 | 投 手 右右 |
経 歴 | 神奈川県にいた小1で野球を始める。鬼崎中時代は知多ボーイズでプレーした。東邦高では2年秋に背番号18でベンチ入り、3年春にエースとなり、夏は県大会準優勝。東海大では1年春からベンチ入り、2年秋に中継で初勝利をあげた。3年春から先発に転向、対日体大戦で上田次朗(東海大-阪神)以来、リーグ史上46年振り2人目の完全試合を達成。リーグ通算12勝。 |
水野滉也 みずの・こうや | 1994.6.1 | DeNA2巡目 |
球 歴 | 月寒中→札幌日大高→東海大北海道 | 投 手 右右 |
経 歴 | 札幌月寒東小2年野球を始め、月寒中時代は豊平東シニアでプレー。札幌日大高では3年夏にエースとして南北海道大会準優勝。東海大北海道では、1年春からリーグ戦に登板して3勝をあげ、4年春には6試合に登板して5勝0敗、防御率0.21を記録してMVPを獲得し、大学選手権では2回戦で同志社大を毎回の16奪三振で完封した。秋もMVPを獲得。リーグ通算17勝。 |
三森大貴 みもり・まさき | 1999.9.21 | ソフトバンク4巡目 |
球 歴 | 青森山田中→青森山田高 | 内野手 右左 |
経 歴 | 幼稚園で野球を始め、埼玉県越谷市の蒲生小から青森山田中に進学し、青森山田リトルシニアでプレー。青森山田高では1年秋に遊撃手のレギュラーとなり、2年秋からは4番を打つ。3年春には甲子園に出場した。 |
宗接唯人 むねつぐ・ゆいと | 1994.7.6 | ロッテ7巡目 |
球 歴 | 波賀中→神戸国際大付高→亜細亜大 | 捕 手 右右 |
経 歴 | 波賀中時代はヤングリーグ兵庫夢前でプレー。神戸国際大付高では1年秋にベンチ入りし、2年秋から捕手で4番を打つ。亜細亜大では1年春からリーグ戦に出場し、4年春ベストナイン。 |
森原康平 もりはら・こうへい | 1991.12.26 | 楽天5巡目 |
球 歴 | 神辺中→山陽高→近大工学部→新日鉄住金広畑 | 投 手 右左 |
経 歴 | 山陽高ではエースとして、3年夏に県大会ベスト4。近大工学部では1年秋からリーグ戦に登板。3年秋には7勝をあげて広島6大学で優勝。リーグ通算23勝4敗。新日鉄住金では2年目にエースとなる。 |
森山恵佑 もりやま・けいすけ | 1994.5.2 | 日本ハム4巡目 |
球 歴 | 桜井中→星稜高→専修大 | 外野手 左左 |
経 歴 | 荻生小5年で野球を始める。桜井中時代は軟式でプレーした。星稜高では1年春から出場し、北信越大会にも登板。2年秋にエースとなるが、3年夏には県大会決勝で敗退。専修大で外野手に転向し、2年春からリーグ戦に出場。4年春ベストナイン。 |
柳 裕也 やなぎ・ゆうや | 1994.4.22 | 中日1巡目 |
球 歴 | 小松原中→横浜高→明大 | 投 手 右右 |
経 歴 | 都城大王小で軟式野球を始める。小松原中時代は都城シニアでプレーし、日本代表にも選ばれた。横浜高では2年春から3季連続して甲子園に出場。明大では1年春からリーグ戦に登板。4年春は6勝をあげ、日米大学選手権では主将もつとめる。秋の対早大戦では延長12回20奪三振も記録。リーグ通算21勝、321奪三振。ベストナイン3回。 |
山岡泰輔 やまおか・たいすけ | 1995.9.22 | オリックス1巡目 |
球 歴 | 瀬野川中→瀬戸内高→東京ガス | 投 手 右左 |
経 歴 | 中野東小2年でソフトボールを始め、瀬野川中時代は軟式で投手兼遊撃手としてプレーし、3年のとき全国大会に出場。瀬戸内高でも1年秋にエースとなり、3年夏に甲子園に出場。東京ガスでは1年目から都市対抗にも登板、以後エースとして活躍。 |
山口裕次郎 やまぐち・ゆうじろう | 1998.5.14 | 日本ハム6巡目 |
球 歴 | 寝屋川二中→履正社高 | 投 手 左左 |
経 歴 | 池田小1年で軟式野球を始める。寝屋川二中時代は硬式の寝屋川ベースボールフレンズでプレーした。履正社高では1年秋に背番号18でベンチ入りし、2年秋からは背番号10。3年春の大阪府大会決勝で大阪桐蔭高に完投勝利して注目を集めた。 |
山崎颯一郎 やまざき・そういちろう | 1998.6.15 | オリックス6巡目 |
球 歴 | 山代中→敦賀気比高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 山代小3年で軟式野球を始め、捕手となる。山代中時代は加賀ボーイズで投手としてプレーし、3年夏には日本代表として世界大会にも出場。敦賀気比高では1年春から公式戦に登板した。秋には2番手投手として神宮大会でも登板した。2年選抜では登板できず、夏に甲子園で登板。秋からはエースとなり、3年選抜に出場。 |
山本由伸 やまもと・よしのぶ | 1998.8.17 | オリックス4巡目 |
球 歴 | 備前中→都城高 | 投 手 右右 |
経 歴 | 伊部小1年で野球を始め、3年から捕手兼投手となる。備前中時代は岡山東ボーイズで投手兼内野手としてプレー、3年夏に全国大会出場。都城高では1年夏のNHK杯で三塁手のレギュラーとなり、秋からエースで4番を打つ。2年秋には新人戦地区予選の小林西高戦で151kmを記録、鵬翔高戦ではノーヒットノーランを達成。さらに県大会の宮崎海洋高戦では5回参考記録ながら完全試合を達成して注目を集めた。3年夏は5番を打つ。 |
吉川尚輝 よしかわ・なおき | 1995.2.8 | 巨人1巡目 |
球 歴 | 桑原中→中京高→中京学院大 | 内野手 右左 |
経 歴 | 桑原小1年で野球を始め、投手となる。桑原中では羽島フジボーイズでプレー。中京高では1年夏から三塁手のレギュラーとなり、秋からはショートで1番。卒業後は関東の強豪大学への進学が決まっていたが、春季キャンプに参加した後に辞退。中京学院大に進み1年秋から遊撃手のレギュラーとなる。2年春、3年秋に首位打者を獲得。4年春は首位打者と打点王を獲得してMVPに選ばれた。盗塁王も3回獲得。同年の大学選手権で活躍して、一躍ドラフト上位候補として注目を集める。 |
廖 任磊 りゃお・れんれい | 1993.8.30 | 巨人7巡目 |
球 歴 | 共生高→台湾開南大→米国1A | 投 手 右右 |
経 歴 | 岡山県の共生高に野球留学。卒業後は帰国して開南大に進学したが、2014年パイレーツと契約して2年間ルーキーリーグでプレーした。215年帰国して開南大に復学、同年台湾代表に選ばれる。2016年6月に卒業、日本の高校に3年間在籍していたことから、同年のドラフト対象となった。201cm、125kgの巨漢。 |