選手名 | 所 属 | 出身校 | 位 置 | 利腕 | 寸 評 | |
---|---|---|---|---|---|---|
札幌学生 | ||||||
福田 俊 | 星槎道都大 | 横浜 創学館高 | 投 手 | 左左 | 札幌手稲山口小1年で軟式野球を始める。のち小田原に転居し、泉中時代は小田原ボーイズでプレーした。横浜創学館高では2年夏にエースとなるが、3年夏は控え。星槎道都大では1年春からリーグ戦に登板。3年秋は3勝をあげ、防御率1.26でMVPを獲得した。神宮大会でも好投。プロ志望届を提出済。 | |
有間裕亮 | 東海大 北海道 | 前橋工 | 外野手 | プロ志望届を提出済。 | ||
市村優多 | 花巻東高 | 外野手 | プロ志望届を提出済。 | |||
笹林 凌 | 東海大浦安高 | 投 手 | プロ志望届を提出済。 | |||
今川優馬 | 東海大四高 | 外野手 | 右右 | 札幌南小時代に軟式野球を始める。真駒内曙中時代も軟式でプレーした。東海大四高では2年秋にベンチ入りし、3年夏に背番号16で甲子園に出場。東海大北海道でも3年春にベンチ入りした。4年春には5本塁打のリーグ記録をつくり、首位打者も獲得。プロ志望届を提出済。 | ||
伊藤宏太 | 北翔大 | 岩見沢東高 | 投 手 | 右右 | 岩見沢東小で軟式野球を始める。岩見沢東光中時代も軟式でプレーした。岩見沢東高では3年夏に北北海道大会ベスト8.プロ志望届を提出済。 | |
岡本直也 | 東農大 オホーツク | 千葉経大付高 | 投 手 | 左左 | 千葉千草台中時代は千葉東シニアでプレー。千葉経大付高では2年秋に県大会準優勝。東京農大オホーツクでは1年春からリーグ戦に登板。プロ志望届を提出済。 | |
アドゥワ大 | 九州国際大付高 | 投 手 | 中学時代は熊本中央シニアでプレー。九州国際大付高では3年夏に甲子園に出場。プロ志望届を提出済。 | |||
北海道学生 | ||||||
海老塚耕作 | 函館大 | 横浜 創学館高 | 投 手 | 右右 | 寺尾中時代は東金沢シニアで投手兼内野手としてプレーした。横浜創学館高では1年秋にエースとなるが、2年春からはリリーフ投手となる。プロ志望届を提出済。 | |
北東北大学 | ||||||
鈴木翔天 | 富士大 | 向上高 | 投 手 | 左左 | 横浜南本宿小でソフトボールを始め、のち瀬谷リトルに入る。万騎が原中時代は瀬谷シニアでプレーした。向上高では外野手兼投手で、3年春関東大会準優勝、夏は県大会決勝に進出。富士大では1年春からベンチ入り。3年秋の対八戸工大戦でリーグ史上初の完全試合を達成。プロ志望届を提出済。 | |
佐藤龍世 | 北海高 | 内野手 | 右右 | 厚岸真龍小2年で軟式野球を始める。真龍中時代は釧路シニアでプレーした。北海高では三塁手で4番を打つ。富士大では1年春からリーグ戦に出場。3年春に首位打者と本塁打王を獲得、秋には打点王となる。プロ志望届を提出済。 | ||
竹内広成 | 佐久長聖高 | 外野手 | 右右 | プロ志望届を提出済。 | ||
村上 英 | 宇都宮南高 | 投 手 | 右右 | 4年春、防御率0.69をマークし、MVPを獲得。 | ||
高橋優貴 | 八戸学院大 | 東海大 菅生高 | 投 手 | 左左 | ひたちなか田彦小3年で軟式野球を始める。田彦中時代は友部シニアでプレーした。東海大菅生高では1年夏から公式戦に登板し、3年夏は西東京大会準優勝。八戸学院大でも1年春からリーグ戦に登板。リーグ新記録の通算301奪三振を記録。通算20勝。プロ志望届を提出済。 | |
新沼大輝 | 岩手大 | 盛岡三高 | 投 手 | 右右 | プロ志望届を提出済。 | |
仙台6大学 | ||||||
島原達也 | 東北福祉大 | 太成学院大高 | 投 手 | 左左 | 八尾龍華小2年でソフトボールを始める。龍華中時代は大阪柏原ボーイズでプレーした。太成学院高では2年11月にチームの不祥事で対外試合禁止となり、3年夏の府大会で復帰。プロ志望届を提出したが指名されず、東北福祉大に進学。 | |
望月隆晟 | 仙台大 | 東海大浦安高 | 外野手 | 4年春盗塁王を獲得。ベストナイン3回。プロ志望届を提出済。 | ||
内海基嗣 | 東北工大 | 一関学院高 | 投 手 | プロ志望届を提出済。 | ||
松下圭太 | 宮城教育大 | 福島高 | 投 手 | 右右 | 草野小2年で野球を始める。飯舘中では県大会に出場したが、福島原発事故で福島市に移住。福島高では2年秋からエース。宮城教育大では1年秋からリーグ戦に登板。3年春には150kmをマークしたが、秋に右肱を疲労骨折して4年春は登板できず、秋に復帰した。プロ志望届を提出済。 | |
南東北大学 | ||||||
船迫大雅 | 東日本 国際大 | 聖光学院高 | 投 手 | 右左 | 蔵王永野小で軟式野球を始める。円田中時代も軟式でプレーした。聖光学院高では3年夏に甲子園ベスト8。東日本国際大では1年春からエースとして5勝をあげ、4年春にはMVPを獲得。リーグ通算33勝。プロ志望届を提出済。 | |
粟津凱士 | 山本学園高 | 投 手 | 右右 | 山形七小3年で軟式野球を始める。山形二中時代も軟式で、内野手としてプレーした。山本学園高で投手となり、2年秋にはエースとして県大会優勝。東日本国際大では1年春からベンチ入り。プロ志望届を提出済。 | ||
関甲新大学 | ||||||
谷中規彦 | 常磐大 | 下館工 | 投 手 | 右右 | 雨引小3年で軟式野球を始める。大和中時代も軟式でプレーし、ポジションを転々とした。下館工では2年秋にエースとなり、3年春の県大会1回戦対日立北高戦で10者連続奪三振の県タイ記録を樹立。夏は1回戦の対江戸川学園取手高戦で15奪三振のノーヒットノーランを達成したが、2回戦で敗退。 | |
安藤幸太郎 | 白鷗大 | 九州国際大付高 | 投 手 | 左左 | 富雄南小1年で軟式野球を始め、2年でボーイズリーグ奈良に入る。中3の8月には世界少年野球大会に日本代表として参加して優勝した。九州国際大付高では1年春から公式戦に登板4年春は4勝をあげ、最多勝とMVPを獲得した。プロ志望届を提出済。 | |
小室佑太 | 新潟大 | 長岡高 | 外野手 | 左左 | プロ志望届を提出済。 | |
漆原大晟 | 新潟医療 福祉大 | 新潟明訓高 | 投 手 | 右左 | 燕粟生津小で軟式野球を始める。燕吉田中時代は三条シニアでプレーした。新潟明訓高では甲子園に出場。新潟医療福祉大に進学、1年秋の関東学園大戦で11連続奪三振を記録して注目を集めた。4年春には151kmを記録。プロ志望届を提出済。 | |
千葉県大学 | ||||||
伊藤将司 | 国際武道大 | 横浜高 | 投 手 | 左左 | 横芝小1年で軟式野球を始める。横芝中時代も軟式でプレーし、Kボールのオール山武で県大会優勝。横浜高では2年春からエースとなり、2年夏と3年春に甲子園に出場。国際武道大では1年春からリーグ戦に登板。2年春に6勝をあげた。リーグ通算21勝。プロ志望届を提出済。 | |
湯浅翔太 | 城西国際大 | 花咲徳栄高 | 内野手 | 中学時代は富岡ボーイズでプレー。ベストナイン3回。プロ志望届を提出済。 | ||
引木拓己 | 長野大 | 佐久長聖高 | 投 手 | 高校時代は内野手で3年夏に控え選手として甲子園に出場。プロ志望届を提出済。 | ||
日永信隆 | 北筑高 | 外野手 | プロ志望届を提出済。 | |||
中島 健 | 篠ノ井高 | 内野手 | プロ志望届を提出済。 | |||
東京6大学 | ||||||
小島和哉 | 早 大 | 浦和学院高 | 投 手 | 左左 | 鴻巣箕田小1年で軟式野球を始め、赤見台中時代は行田シニアでプレー。浦和学院高では1年春からベンチ入りし、2年春の選抜では5試合すべてに先発して優勝。夏の県大会準々決勝対埼玉平成高戦では完全試合を達成した。3年夏は県大会3回戦で県川口高に敗れた。早大では1年春からリーグ戦に登板。2年秋には防御率1.60で最優勝防御率。リーグ通算14勝。プロ志望届を提出済。 | |
岸本朋也 | 関大北陽高 | 捕 手 | 右右 | 城東小2年で野球を始め、城東中時代は東大阪北ボーイズでプレーした。関大北陽高では1年秋から捕手で4番を打つ。早大では2年秋からリーグ戦に出場し、3年春からレギュラー。 | ||
逢沢崚介 | 明 大 | 関西高 | 外野手 | 左左 | 岡山南輝小1年でソフトボールを始める。福南中時代はヤングリーグのオール岡山でプレーした。関西高では1年秋からセンターで1番を打ち、2年春に選抜に出場。3年夏はエースとなって甲子園に出場した。明大では外野手に専念して、1年春からリーグ戦に出場。2年春にはベストナイン。3年では4番を打つ。プロ志望届を提出済。 | |
渡辺佳明 | 横浜高 | 内野手 | 右左 | 横浜六会南小で軟式野球を始める。富岡中時代は中本牧シニアでプレーし、ジャイアンツカップ4強。横浜高では1年秋に一塁手で5番を打ち、2年夏と3年春に甲子園に出場。明大では3年夏に大学日本代表に選ばれた。プロ志望届を提出済。渡辺元智横浜高元監督の孫。 | ||
佐野悠太 | 広陵高 | 外野手 | 右左 | 広陵高では三塁手で、甲子園に出場。明大では3年秋からリーグ戦に出場し、4年春はレギュラー。プロ志望届を提出済。兄は佐野恵太(DeNA)。 | ||
越智達矢 | 丹原高 | 外野手 | 右左 | 西条国安小1年でソフトボールを始め遊撃手となる。東予西中時代は軟式で外野手としてプレーする傍ら、陸上中距離選手としても活躍、1500mで四国大会を制したこともある。3年夏には全国大会にも出場。丹原高では1年春からライトで4番を打つ。秋の県大会では3ホームランを放って注目を集めた。高校通算47本塁打。明大では4年春に3本塁打を打ち、大学日本代表にも選ばれた。社会人入りの予定。 | ||
菅野秀哉 | 法政大 | 小高工 | 投 手 | 右右 | 相馬桜丘小で軟式野球を始める。中村一中時代も軟式でプレーした。小高工入学時は遊撃手だったが、1年夏に投手に転向。3年夏の福島大会2回戦対福島高専戦で大会初の完全試合を記録した。法政大では1年春からリーグ戦に登板。リーグ通算16勝。プロ志望届を提出済。 | |
中山翔太 | 履正社高 | 内野手 | 右右 | 城星学園小時代に軟式野球を始める。大阪本庄中時代は東成シニアでプレーした。履正社高では2年秋にレフトで4番を打ち、3年春に選抜準優勝。法政大では2年春からリーグ戦に出場。4年春には一塁手のベストナイン。リーグ通算打率.306、11本塁打、47打点。プロ志望届を提出済。 | ||
向山基生 | 法政二高 | 外野手 | 右右 | 調布柏野小時代に調布リトルに入る。神代中時代は八王子シニアでプレーした。法政二高では三塁手で高校通算10本塁打。法政大では1年秋からベンチ入り。4年ではライトで3番を打ち、主将。プロ志望届を提出済。 | ||
森田駿哉 | 富山商 | 投 手 | 左左 | 富山光陽小で軟式野球を始める。富山南部中時代は富山ボーイズでプレーした。富山商では2年春から公式戦に登板。3年夏は甲子園に出場し、アジア18U代表にも選ばれる。法政大では1年春に1勝をあげたが、夏に故障して以後登板できず、4年春に復帰。プロ志望届を提出済。 | ||
峯本 匠 | 立教大 | 大阪桐蔭高 | 内野手 | 右左 | 摂陽小3年で野球を始め、投手となる。伊丹西中時代はヤングリーグ忠岡でプレーした。大阪桐蔭高では二塁手として全国制覇。立教大では1年春からリーグ戦に出場。 | |
東都大学 | ||||||
河端優馬 | 青山学院大 | 高岡商 | 投 手 | 右左 | 氷見早川小で軟式野球を始める。氷見西部中を経て高岡商に進学し、1年秋からエースとなって北信越大会に出場。3年夏は県大会決勝で森田駿哉がエースの富山商に敗れた。青山学院大では1年秋から2部リーグに登板。社会人入りの予定。 | |
長野勇斗 | 三重高 | 外野手 | 右左 | 松阪松尾小で野球を始める。松阪西中時代は軟式でプレー。三重高では1年春からベンチ入りし、夏はライトで3番を打った。2年夏にはセンターで3番を打って甲子園に出場。秋からは1番を打って主将をつとめ、3年春夏と甲子園に出場、夏は準優勝。青山学院大では1年春から2部リーグ戦に出場、秋にはレフトのレギュラーとなる。社会人入りの予定。 | ||
中川圭太 | 東洋大 | PL学園高 | 内野手 | 右右 | 阪南尾崎小で軟式野球を始める。尾崎中時代は泉佐野シニアでプレーした。PL学園高では1年秋から一塁手のレギュラーとなるが、翌年は不祥事で部が謹慎、3年では監督不在のなか主将をつとめた。高校通算28本塁打。プロ志望届を提出したが指名されず、東洋大に進学。1年春から指名打者として出場、3年春には二塁手としてベストナインに選ばれ、夏には大学日本代表に選ばれた。プロ志望届を提出済。 | |
梅津晃大 | 仙台育英高 | 投 手 | 右右 | 仙台南小泉小2年で軟式野球を始める。秀光中時代も軟式でプレーし、全国大会に出場。仙台育英高では2年春の選抜でベンチ入りしたが登板はなし。秋にはエースとなったが、3年の6月に練習試合で死球を受けて左手首を骨折。夏の県大会2回戦で復帰、4回戦で敗退した。東洋大では1年春に2部リーグに2試合登板したあとしばらく登板できず、3年秋に復帰した。4年秋に11試合目の登板で初勝利をあげる。プロ志望届を提出済で、上位指名候補。 | ||
上茶谷大河 | 京都学園高 | 投 手 | 右右 | 金閣小1年で軟式野球を始める。衣笠中時代は京都レッドベアーボーイズで投手としてプレーした。京都学園高では2年春からエースとなるが、3年夏は府大会2回戦で敗退。東洋大では1年秋から二部リーグ戦に登板。4年春の駒沢大戦(延長10回)の9回までに20奪三振のリーグ記録を樹立、6勝をあげた。プロ志望届を提出済で、1巡目指名候補。 | ||
甲斐野央 | 東洋大姫路高 | 投 手 | 右左 | 西脇桜ヶ丘小3年で軟式野球を始め、投手となる。黒田庄中でも投手としてプレー。東洋大姫路高では1年秋に内野手兼外野手でベンチ入り。3年夏も三塁手兼投手ながら、投手として注目された。東洋大では1年秋から二部リーグ戦に登板し、2年春からは1部で登板。3年秋には5勝をあげてベストナインに選ばれる。4年春の対立正大戦では159kmを記録した。プロ志望届を提出済で、1巡目指名が有力。 | ||
長沢吉貴 | 日 大 | 佐野日大高 | 内野手 | 右左 | 上三川明治小1年で軟式野球を始める。明治中時代は栃木下野シニアでプレーした。佐野日大高では1年夏にセンターのレギュラーとなり、3年春に選抜でベスト4。日大では1年春からリーグ戦に出場。2年秋にベストナイン。プロ志望届を提出済。 | |
松田進吾 | 札幌日大高 | 外野手 | 右左 | 川南小で軟式野球を始める。札幌澄川中ではボーイズリーグでプレーした。札幌日大高では1年春からベンチ入りし、3年夏はセンターで4番を打って、南北海道大会準決勝まで進出。高校通算25本塁打。プロ志望届を提出したが指名されず、日大に進学。日大では1年春からリーグ戦に出場。3年秋からは4番を打つ。 | ||
頓宮裕真 | 亜細亜大 | 岡山理大付高 | 捕 手 | 右右 | 備前伊部小1年で軟式野球を始める。備前中時代はボーイズリーグ瀬戸でプレーした。岡山理大付高では1年夏にベンチ入りし、秋からは捕手で4番を打つ。2年秋に中国大会ベスト8。高校通算24本塁打。亜細亜大では1年春から正捕手としてリーグ戦に出場。3年春にベストナイン。4年春は4番一塁手として出場して5本塁打を記録、大学日本代表でも4番を打った。リーグ通算13本塁打。プロ志望届を提出済。 | |
正隨優弥 | 大阪桐陰高 | 外野手 | 右右 | 広島段原中時代は広島鯉城シニアでエース。大阪桐蔭高に進学して外野手に転じたが、2年の6月に練習中に右足首を骨折。3年春になって復帰、4番を打つ。亜細亜大では1年春からリーグ戦に出場。プロ志望届を提出済。 | ||
中村稔弥 | 清峰高 | 投 手 | 左左 | 佐世保相浦小で佐世保中央リトルに入る。海星中時代は長崎海星シニアでプレーした。亜細亜大では2年春に3勝をあげてベストナイン。4年春は5勝をマーク。プロ志望届を提出済。 | ||
秦匠太朗 | 専修大 | 二松学舎大付高 | 外野手 | 右右 | 下赤塚小3年で軟式野球を始めて一塁手となり、赤塚一中時代は東板橋シニアで一塁手としてプレー。二松学舎大付高で外野手に転向、3年夏に甲子園に出場した。高校通算57本塁打。専修大では1年春からリーグ戦に出場。 | |
清水 昇 | 国学院大 | 帝京高 | 投 手 | 右左 | 足立江北小1年で軟式野球を始める。駿台学園中時代も軟式でプレーし、3年のとき全国大会に出場。帝京高では1年秋にエースとなる。3年夏は東東京大会準優勝。国学院大では1年秋からリーグ戦に登板。リーグ通算11勝。プロ志望届を提出済。 | |
山岡就也 | 広島新庄高 | 投 手 | 左左 | 吉田小1年で軟式野球を始め、吉田中時代も軟式でプレーした。広島新庄高では1年秋にベンチ入りして田口麗斗の控え投手となり、2年秋からエース。国学院大では2年春からリーグ戦に登板。 | ||
吉田叡生 | 中央大 | 佐野日大高 | 外/内 | 右左 | 下野祇園小で軟式野球を始める。南河内二中時代は栃木下野シニアでプレーした。佐野日大高では1年秋からベンチ入りし、2年春に外野手のレギュラーとなり、秋からは二塁手で主将。3年春に選抜に出場した。中央大では1年春からベンチ入りし、2年春から外野手のレギュラーとなる。プロ志望届を提出済。 | |
伊藤優輔 | 都立 小山台高 | 投 手 | 右右 | 荒川第三瑞光小で軟式野球始める。尾久八幡中時代も軟式でプレーし、3年の時都大会で優勝。3年選抜に出場した。中央大では1年春からリーグ戦に登板し、秋には初勝利もあげる。社会人入りの予定。 | ||
池田瞳夢 | 立正大 | 関東第一高 | 捕 手 | 右右 | 篠崎四小で軟式野球を始める。篠崎中時代は江戸川中央シニアでプレーし、3年夏に全国大会に出場。関東第一高では1年秋からベンチ入りし、2年夏から正捕手。3年春に選抜に出場した。立正大では4年春からリーグ戦に出場。プロ志望届を提出済。 | |
石森 亨 | 浦和学院高 | 外野手 | 右左 | 中学時代は新宿リトルシニアでプレー。浦和学院高では2年春の選抜で優勝。プロ志望届を提出済。 | ||
伊藤裕季也 | 日大三高 | 内野手 | 右右 | 四日市浜田小で軟式野球を始める。四日市港中時代は四日市ボーイズでプレーした。日大三高ではレフト兼控え投手。立正大では2年春に一塁手のレギュラーとなり、3年秋から4番を打つ。4年夏には大学日本代表の4番を打った。リーグ通算6本塁打。プロ志望届を提出済。 | ||
小郷裕哉 | 関西高 | 外野手 | 右左 | 倉敷庄小で軟式野球を始める。庄中時代はヤングリーグの岡山で投手としてプレーした。関西高では1年春からベンチ入りし、夏には一塁手のレギュラーとなる。2年春に選抜に出場、3年春からは二塁手で4番を打ち、夏の甲子園に出場した。立正大では2年秋からリーグ戦に出場し、3年春から外野手のレギュラー。プロ志望届を提出済。 | ||
蔡 鉦宇 | 拓殖大 | 八戸学院 光星高 | 内野手 | 台湾から八戸学院光星高に留学。プロ志望届を提出済。 | ||
松本凌太 | 帝京五高 | 内野手 | 右左 | 小1で野球を始め、中学時代はオール松原ボーイズでプレーした。帝京五高では1年夏からショートで1番を打つ。拓殖大では1年秋から二部リーグに出場。プロ志望届を提出済。 | ||
白銀滉大 | 駒沢大 | 柏日体高 | 投 手 | 右右 | 柏酒井根小で軟式野球を始める。逆井中時代も軟式でプレーした。柏日体高でサイドスローに転向し、3年夏にエースとして県大会ベスト4、駒沢大では1年春からリーグ戦に登板。プロ志望届を提出済。 | |
巴山颯太郎 | 知徳高 | 内野手 | 右右 | 中学時代は上田リトルシニアでプレー。知徳高時代は通算30本塁打。駒沢大では2年春に一塁手のレギュラーとなり4番を打つ。プロ志望届を提出済。 | ||
重田倫明 | 国士舘大 | 千葉英和高 | 投 手 | 右右 | 村上東中時代は軟式で二塁手兼投手としてプレー。千葉英和高では1年秋からベンチ入りし、2年秋からエース。国士舘大では2年春に登板。プロ志望届を提出済。 | |
萩原拓光 | 順天堂大 | 渋川高 | 投 手 | 左左 | プロ志望届を提出済。 | |
首都大学 | ||||||
横川楓薫 | 東海大 | 日南学園高 | 投 手 | 左左 | 中霧島小で軟式野球を始める。山田中時代も軟式でプレーした。日南学園高では2年秋からエース。東海大では1年秋からリーグ戦に登板し、2年秋から先発投手として活躍。 | |
青島凌也 | 東海大相模高 | 投 手 | 右右 | 名古屋常安小2年で軟式野球を始め、投手兼遊撃手。扇台中でも軟式でプレーし、3年の時全日本少年軟式野球大会で準優勝。東海大相模高では、1年年夏の県大会で先発。国際武道大では1年春からリーグ戦に登板。2年秋の明治神宮大会関東代表決定戦の対国際武道大戦で大会記録の10連続を含む18奪三振をマークし、完全試合を達成した。リーグ通算9勝。 | ||
平山 快 | 東海大相模高 | 内野手 | 右右 | 精華西中時代はオール枚方ボーイズでプレー。東海大相模高では2年秋から一塁手で4番を打つ。3年春からは三塁手となり、高校通算37本塁打。東海大では1年秋からリーグ戦に出場、2年春からレギュラーとなり、一塁手兼三塁手。4年秋は打率.432、3本塁打、12打点を記録、史上12人目の三冠王を獲得した。プロ志望届を提出済。 | ||
東妻勇輔 | 日体大 | 智弁 和歌山高 | 投 手 | 右右 | 和歌山紀伊小2年で軟式野球を始め、6年で投手となる。紀伊中時代は和歌山興紀ボーイズでプレーした。智弁和歌山高では2年秋からエースとなり、3年春に甲子園に出場。日体大では2年春からリーグ戦に登板し、3年春には3勝をあげる。リーグ通算12勝。プロ志望届を提出済。 | |
松本 航 | 明石商 | 投 手 | 右右 | 朝来梁瀬小2年で軟式野球を始め、投手となる。梁瀬中時代も軟式でプレーし、3年秋にはKボールの県選抜チームで全国優勝。明石商では1年夏から控え投手としてベンチ入りし、2年春からエース。3年夏は県大会4回戦の対明石高専戦で20奪三振を記録したが、準々決勝で敗れた。日体大では1年春からリーグ戦に登板。2年春には6勝をあげてMVPを獲得した。4年では大学日本代表。リーグ通算60試合登板、30勝18敗、343奪三振、防御率1.63。プロ志望届を提出済で、1巡目指名候補。 | ||
青柳正輝 | 大東文化大 | 伊勢崎 清明高 | 投 手 | プロ志望届を提出済。 | ||
佐渡俊太 | 明星大 | 日大三高 | 投 手 | 左左 | プロ志望届を提出済。 | |
佐藤 亮 | 明治学院大 | 横浜高 | 内野手 | 右右 | プロ志望届を提出済。 | |
東京新大学 | ||||||
近藤佑亮 | 東洋学園大 | 本庄第一高 | 投 手 | 右右 | プロ志望届を提出済。 | |
松永 忠 | 土浦日大高 | 投/捕 | 右右 | プロ志望届を提出済。 | ||
北陸大学 | ||||||
芳野了哉 | 福井工大 | 日本航空 石川高 | 内野手 | 右左 | 千里第一小で大阪東淀川ボーイズに入る。吹田一中時代は東大阪北ボーイズでプレー。日本航空高に入学したが、1年末に日本航空石川高に転校、1年間の出場停止期間を経て、3年春に遊撃手のレギュラーとなる。福井工大では1年春からリーグ戦に出場、3年春に打率.500、3本塁打、15打点で首位打者を獲得。プロ志望届を提出済。 | |
泉 圭輔 | 金沢星稜大 | 金沢西高 | 投 手 | 右右 | 金沢三馬小で軟式野球を始めるが、控え投手。金沢清泉中時代も軟式でプレーした。金沢西高では1年夏からベンチ入り。金沢聖稜大では1年秋からリーグ戦に登板。リーグ通算23勝。プロ志望届を提出済。 | |
今村春輝 | 星稜高 | 内野手 | 星稜高では甲子園に出場。金沢星稜大では1年からリーグ戦に出場。プロ志望届を提出済。 | |||
若林 開 | 金沢学院大 | 金沢高 | 投 手 | 金沢学院大2年冬に右肱靭帯を手術し、4年春にリーグ戦初登板。プロ志望届を提出済。 | ||
東海地区大学 | ||||||
鈴木彩隼 | 静岡産業大 | 浜北西高 | 投 手 | 右右 | 北浜小1年で軟式野球を始める。北浜東部中時代は浜松シニアで控えショートしてプ―した。浜北西高で投手に転向し、2年秋からエースとなるも3年夏は県大会2回戦敗退。静岡産業大では2年春の対常葉大浜松戦で完全試合を達成。兄は鈴木翔太(中日)。プロ志望届を提出済。 | |
大盛 穂 | 飛龍高 | 外野手 | 1番を打つ。プロ志望届を提出済。 | |||
山崎智也 | 静岡大 | 磐田南高 | 投 手 | 右右 | 磐田福田小で軟式野球を始める。福田中時代も軟式で外野手としてプレーした。磐田南高で投手に転向したが、控え投手で県大会初戦敗退。静岡大では2年春からリーグ戦に登板、3年秋から先発投手をつとめる。プロ志望届を提出済。 | |
続木悠登 | 日大国際関係 | 横浜商大高 | 投 手 | 横浜中和田小で軟式野球を始める。中和田中時代は泉中央ボーイズでプレーした。横浜商大高では2年夏の県大会対横須賀明光高戦でノーヒットノーランを達成。日大国際関係学部では、4年春ベストナイン。プロ志望届を提出済。 | ||
若山蒼人 | 中部学院大 | 崇徳高 | 投 手 | 右右 | 広島戸坂小でボーイズ広島に入る。祇園中時代は軟式でプレーした。崇徳高2年で投手に転向したが控え投手。中部学院大2年でアンダースローに転じ、秋からリーグ戦に登板。プロ志望届を提出済。 | |
愛知大学 | ||||||
栗林良吏 | 名城大 | 愛知黎明高 | 投 手 | 右右 | 愛西勝幡小2年で軟式野球を始める。佐織中時代も軟式でプレーした。愛知黎明高では1年夏に遊撃手のレギュラーとなり、3年春からエース。名城大で投手に専念、1年春に5勝をあげた。リーグ通算24勝。プロ志望届を提出済。 | |
池田鏡介 | 中京大 | 愛知啓成高 | 捕 手 | 右左 | プロ志望届を提出済。 | |
井村勇介 | 至学館大 | 高蔵寺高 | 投 手 | 右右 | 高校時代は投手兼内野手。至学館大では1年春から投手として活躍。プロ志望届を提出済。 | |
| ||||||
京滋大学 | ||||||
川瀬航作 | 京都学園大 | 米子松蔭高 | 投 手 | 右右 | 東淡路小1年で軟式野球を始める。柴島中を経て、米子松蔭高に進学、1年からベンチ入りした。京都学園大でも1年春からベンチ入り、秋には初勝利もあげる。4年春は5勝をあげて最多勝を獲得、MVPにも選ばれた。プロ志望届を提出済。 | |
橋本昂稀 | 地球環境高 | 捕 手 | 右右 | 横浜中和田小で軟式野球を始める。中和田中時代は横浜全戸塚ヤングパワーズでプレー。地球環境高では2年春から正捕手。京都学園大では2年春から正捕手。プロ志望届を提出済。 | ||
小川智史 | びわこ成蹊スポーツ大 | 報徳学園高 | 投 手 | 右右 | プロ志望届を提出済。 | |
大村涼兼 | 仏教大 | 北大津高 | 投 手 | 左左 | プロ志望届を提出済。 | |
関西学生 | ||||||
辰己涼介 | 立命館大 | 社 高 | 外野手 | 右左 | 神戸藤原台小1年で神戸北リトルに入り、3年から大淀ボーイズでプレー。有野中時代はヤングリーグの神戸三田ドジャースで投手兼内野手としてプレーした。社高1年夏に外野手となり、秋からベンチ入り。2年春から外野手のレギュラーとなる。高校通算20本塁打。立命館大では1年春からリーグ戦に出場。2年夏から3年連続して大学日本代表に選ばれる。4年秋打率.375で首位打者を獲得。ベストナイン4回。史上2位のリーグ通算122安打を記録。プロ志望届を提出済で、1巡目指名候補。 | |
山上大輔 | 立命館宇治高 | 投 手 | 右左 | 城陽久津川小で南京都リトルに入る。北城陽中時代はヤングリーグのオール山城でプレーした。立命館宇治高では2年秋からエースで、3年春の近畿大会に出場。立命館大では1年秋からリーグ戦に登板し、3年春には4勝をあげた。プロ志望届を提出済で、オリックスが指名を検討という。 | ||
山本隆広 | 関西大 | 桜宮高 | 投 手 | 右左 | 東鳥取小で軟式野球を始め捕手となる。鳥取東中時代も軟式でプレーし、2年秋に投手となる。桜宮高では1年秋にベンチ入りし、2年秋からエース。高校通算23本塁打の強打者でもあった。関西大では1年秋からリーグ戦に登板。2年秋は5勝をあげてMVPを獲得した。3年春も5勝をマーク、秋の近大戦では史上2人目の完全試合を達成。明治神宮大会では149kmをマークみ。リーグ通算15勝。プロ志望届を提出済。 | |
小寺兼功 | 近 大 | 岡山理大付高 | 投 手 | 左左 | 松原東小1年野球を始める、4年からは羽曳野リトルタイガースでプレー。四天王寺羽曳中時代は「レッドスタベースボールクラブ」でブレ―した。岡山理大付高に進学し、1年秋に背番号18でベンチ入り。2年秋にエースとなる。近大では2秋からリーグ戦に登板。リーグ通算6勝。プロ志望届を提出済。 | |
姫野大成 | 関西学院大 | 龍谷大平安高 | 内野手 | 右右 | プロ志望届を提出済。 | |
関西6大学 | ||||||
大浦 彬 | 龍谷大 | 大阪桐蔭高 | 投 手 | 右右 | プロ志望届を提出済。 | |
堀口裕真 | 近江高 | 外野手 | 右左 | 長浜浅井中時代は湖北ボーイズでプレー。近江高ではセンターで1番を打つ。龍谷大では2年春からリーグ戦に出場。プロ志望届を提出済。 | ||
太田 光 | 大阪商大 | 広陵高 | 捕 手 | 右右 | 倉敷連島東小で軟式野球を始める。連島中時代は倉敷ボーイズでプレーした。広陵高では4番捕手で主将をつとめ、3年夏に甲子園に出場。大阪商大では1年春からリーグ戦に出場、4年春に首位打者を獲得。プロ志望届を提出済。 | |
尾田恭平 | 智弁学園高 | 投 手 | 左左 | 大阪商大では2年秋に6勝をあげてベストナイン。プロ志望届を提出済。 | ||
滝野 要 | 大垣日大高 | 外野手 | プロ志望届を提出済。 | |||
阪神大学 | ||||||
田中秀政 | 天理大 | 明徳義塾高 | 内野手 | 右右 | 3年秋に打率.405で首位打者を獲得。プロ志望届を提出済。 | |
石田啓介 | 関西国際大 | 高松商 | 投 手 | プロ志望届を提出済。 | ||
近畿大学 | ||||||
米満 凪 | 奈良学園大 | 敦賀気比高 | 内/外 | 右左 | 堺日置荘西小でボーイリーグの八尾フレンドに入る。日置荘中でも八尾フレンドでプレーした。敦賀気比高では2年春と3年夏に甲子園に出場。奈良学園大では1年春から一塁手のレギュラーとなる。4年春には遊撃手となり、打率.406で首位打者を獲得、MVPに選ばれた。リーグ通算51盗塁。プロ志望届を提出済。 | |
兼板優貴 | 神戸医療 福祉大 | 鳴門渦潮高 | 外野手 | 右右 | プロ志望届を提出済。 | |
寺田寛輝 | 大阪市立大 | 岸和田高 | 外野手 | プロ志望届を提出済。 | ||
中国地区大学 | ||||||
中熊大智 | 徳山大 | 九州学院高 | 捕 手 | プロ志望届を提出済。 | ||
四国大学 | ||||||
道原順也 | 高知大 | 西京高 | 投 手 | 右右 | 4年春に4勝をあげて最多勝を獲得。プロ志望届を提出済。 | |
友居京太郎 | 徳島大 | 小松高 | 外野手 | プロ志望届を提出済。 | ||
安丸友耶 | 鳴門教育大 | 川島高 | 投 手 | 左左 | プロ志望届を提出済。 | |
福岡6大学 | ||||||
島内颯太郎 | 九州共立大 | 光陵高 | 投 手 | 右右 | 福津福間小3年で軟式野球を始める。福間中時代も軟式でプレーした。光陵高では1年秋にベンチ入りし、2年からエース。九州共立大では2年春からリーグ戦に登板し、3年秋にMVP。4年秋も5勝0敗を記録した。リーグ通算15勝2敗。プロ志望届を提出済。 | |
久保拓真 | 自由ヶ丘高 | 投 手 | プロ志望届を提出済。 | |||
早野僚馬 | 自由ヶ丘高 | 外野手 | 右左 | 3年秋は打率.400、13打点で、首位打者、打点王、盗塁王を獲得。 | ||
岩城駿也 | 九州産大 | 東海大五高 | 内野手 | 右右 | 香椎東小でソフトボールを始める。香椎三中時代は軟式でプレーした。東海大五高では1年夏から三塁手のレギュラーとなり、秋からは4番を打つ。九州産大では1年秋からリーグ戦に出場、4年春に3戦連発を含む7本塁打を記録、本塁打王と打点王を獲得、MVPにも選ばれた。夏には大学日本代表。リーグ通算130安打、18本塁打。プロ志望届を提出済。 | |
森 祐樹 | 日本経済大 | 有明高 | 投 手 | 右右 | 大牟田小ではソフトボール選手。大牟田中で野球を始め、投手となる。有明高では2年夏からエース。日本経済大では1年春からリーグ戦に登板。リーグ通算18勝。プロ志望届を提出済。 | |
東野 葵 | 福岡第一高 | 投 手 | 左左 | 東花畑小2年でソフトボールを始める。花畑中時代は福南ボーイズでプレーした。福岡第一高では2番手投手。日本経済大では1年春からリーグ戦に登板。リーグ通算11勝。プロ志望届を提出済。 | ||
九州6大学 | ||||||
山本晃希 | 九州国際大 | 熊毛南高 | 投 手 | 右右 | 下松花岡小3年でソフトボールを始める。末武中時代は軟式で外野手としてプレーした。熊毛南高では1年秋に一塁手となり、2年夏からエース。3年夏には4番で主将もつとめ、県大会準々決勝の下関工戦では9回1死までノーヒットノーランに抑えたが、決勝で岩国高に敗れた。 | |
馬場康一郎 | 福岡大 | 諫早高 | 投 手 | 右右 | 飯盛東小4年で軟式野球を始める。飯盛中時代も軟式でプレーし、2年秋から投手。諫早高では1年春にエースとなり、秋の県大会で準優勝、九州大会に出場した。福岡大では4年秋のソフトバンク三軍との試合で151kmを記録。プロ志望届を提出済。 | |
栗原雄大 | 福岡大 大濠高 | 投 手 | プロ志望届を提出済。 | |||
笹渕塁嗣 | 筑陽学園高 | 投 手 | 右右 | 月の浦小3年で軟式野球を始める。平野中時代は福岡春日ボーイズで捕手としてプレーした。筑陽学園高では2年春からエース。福岡大では1年春からリーグ戦に登板。プロ志望届を提出済。 | ||
九州地区大学 | ||||||
鶴永竜治 | 日本文理大 | 川内高 | 投 手 | 右右 | 川内南中時代は薩摩川内ボーイズでプレーした。川内高では1年から三塁手のレギュラーとなり、夏には5番を打った。3年夏は4番を打つ。日本文理大で投手となり、3年春から登板。プロ志望届を提出済。 | |
清松紳也 | 龍谷高 | 投 手 | 左左 | プロ志望届を提出済。 | ||
西島 篤 | 長崎国際大 | 九州文化学園高 | 投 手 | 右右 | 佐世保清水中では外野手兼投手。九州文化学園高でも外野手兼投手で4番を打つ。長崎国際大では先発投手として活躍。プロ志望届を提出済。 | |
喜屋武一輝 | 近大産 業理工 | 興南高 | 投 手 | 右右 | プロ志望届を提出済。 | |
与那嶺光 | 沖縄大 | 石川高 | 投 手 | 右左 | プロ志望届を提出済。 |