2024年注目の社会人野球選手  OFFICE MORIOKA ドラフト2022
選手名位置生年所 属出身校利腕球  歴
浅井佑介1999王 子名古屋大付高→筑波大投 手右右名古屋堀田小で軟式野球を始める。名古屋大付中時代は愛知西シニアでプレーした。王子では2023年に都市対抗に出場。
阿部雄大2000ENEOS酒田南高投 手左左鶴岡朝暘一小4年で野球を始める。鶴岡三中時代は軟式でプレーした。酒田南高では1年秋からエース。ENEOSでは1年目から日本選手権に登板。
飯田琉斗1999ENEOS向上高→横浜商大投 手右右篠原西小2年で軟式野球を始める。六角橋中時代は横浜都筑ボーイズでプレーした。向上高では1年夏からベンチ入りし、2年秋からエース。横浜商大では1年春からリーグ戦に登板。プロ志望届を提出したが指名されず、ENEOSに入社。
伊原陵人2000NTT西日本智弁学園高→大阪商大投 手左左橿原晩成小で軟式野球を始め、八木中時代も軟式でプレー。智弁学園高では2年春からベンチ入りし、3年選抜に出場。大阪商大では1年春からリーグ戦に登板し、3年春には最多勝・最優秀防御率を獲得してベストナインにも選ばれる。4年では大学選手権にも出場。リーグ通算15勝、防御率0.91。プロ志望届を提出したが指名されず、NTT西日本に入社。
内田了介2002ホンダ熊本埼玉栄高投 手右右櫛原中時代は久留米東ボーイズでプレーした。埼玉栄高では2年秋からエースとなる。プロ志望届を提出したが指名されず、ホンダ熊本に入社。右肘を骨折して1年ンのリハビリを経て復活。
江原雅裕2000日鉄ステンレス天理高→国学院大投 手右右久留米安武小で軟式野球を始める。筑邦西中時代はフレッシュリーグでプレーした。天理高では右ひじを手術。国学院大でも1イニングしか登板できなかった。日鉄ステンレスでも1年目は公式戦には登板できなかったが、2年目にリリーフ投手として活躍。
大石将斗1999JFE西日本創成館高→環太平洋大投 手右右鎮西中時代は飯塚ボーイズでプレー。創成館高では控え投手。環太平洋大では1年春からリーグ戦に登板し、4年春にエースとして5勝をあげる。プロ志望届を提出したが指名されず、JFE西日本に入社。
大畑 蓮2001西部ガス明豊高投 手右右別府朝日小2年で軟式野球を始め、明豊中時代も軟式でプレーした。明豊高では2年春から登板し、3年春は選抜ベスト4。西部ガスでも1年目から都市対抗に出場。
小倉悠史2001パナソニック同志社国際高→同志社大投 手左左米国在住の小3で野球を始める。中2で帰国してバスケットボール選手となり、同志社国際高では2年夏からエース。同志社大では2年秋からリーグ戦に登板し、4年秋には4勝をあげる。パナソニックでは1年目から活躍。
片山楽生2002NTT東日本白樺学園高投 手右左音更柳町小2年で軟式野球を始める。音更共栄中時代も軟式でプレーし、エースで4番を打った。白樺学園高では1年秋に一塁手のレギュラーとなり、2年秋からエースで4番。プロ志望届を提出したが指名されず、NTT東日本に入社。1年目から公式戦に登板し、2022年U-23日本代表に選ばれる。
加藤優弥2002日本製鉄東海REX金沢龍谷高投 手右右西枇杷島小2年で軟式野球を始める。西枇杷島中時代は津ボーイズでプレーした。プロ志望届を提出したが指名されず、日本製鉄東海REXに入社。
加藤泰靖2000トヨタ自動車志学館高→上武大投 手右右木更津一小で軟式野球を始め、木更津一中時代も軟式でプレーした。志学館高2年春に捕手から投手に転向。上武大では1年秋からリーグ戦に登板し、2年秋からエース。3年秋には防御率0.44でMVPを獲得した。
河浦圭佑2000JR東日本小倉高投 手右右北九州足原小ではソフトボール選手。霧丘中では軟式でプレーした。小倉高では1年秋にベンチ入りし、2年秋にエースとなって、3年春には県大会で優勝した。
河北将太2000エイジェック浦和学院高→東洋大投 手右右上里東小2年で軟式野球を始める。上里北中時代は上里北武ボーイズでプレーした。浦和学院高では3年夏に甲子園に出場。東洋大ではリーグ通算28試合登板、3勝4敗、防御率2.86。エイジェックでは1年目にSUBARUに補強されて都市対抗に出場、日本選手権にも出場した。
川船龍星2000日本通運松本第一高→拓殖大投 手右右松本開智小で松本東リトルに入る。松本丸ノ内中時代は松本南シニアでプレーした。日本通運では1年目から都市対抗に登板。 
漢人友也2000ホンダ鈴鹿常葉大菊川高→中京大投 手右左掛川桜木小で軟式野球を始める。桜が丘中時代も軟式でプレーした。常葉大菊川高では2年春からエースで、3年夏の甲子園に出場。中京大では1年秋からリーグ戦に登板。プロ志望届を提出したが指名されず、ホンダ鈴鹿に入社。 
木下里都2001KMG福岡舞鶴高→福岡大投 手右右福岡小田部小で軟式野球を始める。原北中時代も軟式でプレーした。福岡舞鶴高では遊撃手。福岡大に進学して1年夏に投手に転向。4年春に防御率1.04をマークして最優秀防御率を獲得。KMGでは1年目から先発投手として活躍。
工藤稜太1999信越クラブ駒大苫小牧高→東海大札幌投 手右右東海大札幌では4年秋にMVPを獲得し、ベストナインに選ばれた。信越クラブではU-23日本代表に選ばれる。 
粂 直輝1999東 芝明秀日立高→帝京大投 手右右川越寺尾小で軟式野球を始め、転校した行田北小でも軟式でプレー。行田長野中時代は熊谷シニアでプレーした。明秀日立高でアンダースローからサイドスローに転向し、関東大会に出場。帝京大では首都大学リーグ通算22試合登板、2勝4敗、防御率2.98。東芝に入社し1年目に日本選手権で先発。
近藤壱来1998JR四国鳴門渦潮高→三菱自動車倉敷→四国IL香川投 手右右阿南大野小で軟式野球を始める。阿南一中時代も軟式でプレーした。四国IL香川では1年目から先発と中継ぎの両方で活躍し、2年目には最多勝とMVP、3年目には最多奪三振のタイトルを獲得するも指名されず、2023年JR四国に入社。2年目でドラフト候補に。
佐藤亜蓮2001TDK由利工→仙台大投 手右右由利工では3年選抜に出場。仙台大ではリーグ通算16試合登板、3勝1敗、防御率2.70。
沢柳亮太郎2000ロキテクノ富山明治学院東村山高→明治学院大投 手右右青梅二中時代は福生リトルシニアでプレー。明治学院大ではプロ志望届を提出したが指名されず、ロキテクノ富山に入社。
沢山優介2003ヤマハ掛川西高投 手左左浜松城北小で軟式野球を始める。浜松北部中時代も軟式でプレーした。
清水力斗1999日本通運星稜高→亜細亜大投 手右右小3で野球を始め、志雄中時代は軟式でプレー。星稜高では1年秋にエースとなり、2年夏の甲子園に出場。亜細亜大では1年春にリーグ戦に2試合登板したが、以後は未登板。 
庄司 魁2000西濃運輸山形城北高→石巻専修大投 手左左仙台鶴谷中時代は宮城シニアでプレー。山形城北高ではあまり登板できず、石巻専修大では2年秋からリーグ戦に登板し、4年春からリリーフエース。
荘司宏太2000セガサミー駿台甲府高→国士舘大投 手左左八王子中野北小で軟式野球を始める。ひよどり山中時代は昭島シニアでプレーした。駿台甲府高では2年春に県大会を制して関東大会に出場した。プロ志望届を提出としたが指名されず国士舘大に進学、1年春からリーグ戦に登板した。セガサミーでは1年目から中継ぎ投手として登板。
関根智輝1999ENEOS都立城東高→慶大投 手右右葛飾新宿小時代に父が監督をつとめていたチームで軟式野球を始め、新宿中時代も軟式で1年夏からエース。都立城東高では1年夏からベンチ入りし、2年秋からエース。慶大では1年春からリーグ戦で活躍したが、2年夏にトミー・ジョン手術を受ける。4年春に復帰、卒業後はENEOSに入社した。
高橋佑輔1999東邦ガス豊田西高→同志社大投 手右右日進南小で軟式野球を始める。日進中時代は名古屋ヤングでプレーした。1浪して同志社大に進学、4年春に5勝をあげた。
高山陽成2001JR東日本作新学院高→明大投 手右右那須塩原東小で軟式野球を始め、投手兼捕手。西那須野中時代も軟式でプレーし、捕手兼投手で3番を打つ。作新学院高では3年夏にエースとして甲子園に出場。明大では4年春にリーグ戦に初登板。リーグ通算1勝0敗。
竹田 祐1999三菱重工West履正社高→明治大投 手右右大東住道南小2年で軟式野球を始める。住道中時代は生駒ボーイズでプレーした。履正社高では1年秋に遊撃手のレギュラーとなり、2年秋からはエース。3年選抜では準優勝。明大では1年秋からリーグ戦に登板。リーグ通算39試合登板、11勝5敗、防御率2.54。プロ志望届を提出したが指名されず、三菱重工Westに入社、1年目からエースとして活躍。
多田裕作1999NTT東日本日体柏高→拓殖大投 手右右日体柏高では控え投手。拓殖大では1年春からリーグ戦に登板。NTT東日本では1年目から都市対抗に登板した。
寺嶋大希2003NTT東日本愛工大名電高投 手右右安曇野穂高南小で穂高リトルに入る。穂高東中時代は安曇野穂高シニアでプレーした。愛工大名電高では3年夏に甲子園に出場。NTT東日本では1年目秋に右ひじを痛めた。
中島悠貴2000茨城トヨペット日大高→日大投 手左左名古屋鳥が丘小で軟式野球を始める。横浜領家中時代も軟式でプレーした。日大での登板は3試合のみ。茨城トヨペットに入社、2年目の2024年エイジェックに補強されて都市対抗にも出場した。
生井惇己2000日立製作所慶応高→慶大投 手左左下妻宗道小1年で軟式野球を始める。千代川中時代は常総シニアでプレーし、3年春に全国大会に出場。慶応高では1年秋にベンチ入りし、2年秋からエースとなって、3年春夏甲子園に出場。慶大では1年秋からリーグ戦に登板。リーグ通算0勝1敗、防御率2.88。4年春に左肘を怪我してトミー・ジョン手術を受けたため秋のリーグ戦には登板せず、日立製作所に入社。1年目の8月に復帰した。
西 隼人2000三菱重工West福岡大大濠高→関西学院大投 手右左糸島前原小3年で軟式野球を始める。前原西中時代はヤングリーグの西福岡メッツでプレーした。福岡大大濠高では1年秋にセンターでベンチ入りし、2年春に外野手としてし甲子園に出場。関西学院大では2年秋からリーグ戦に登板し、4年春からエース。リーグ通算5勝9敗、防御率2.52。
西村王雅2004東 芝智弁学園高投 手左左宇治御蔵山小で軟式野球を始める。東宇治中時代は京都シニアでプレーした。智弁学園高では1年夏から甲子園に出場し、3年夏は準優勝。東芝に入社して1年目から公式戦に登板。2024年U-23日本代表。
萩原健汰2000信越クラブ松本第一高→日大投 手左左 
林田夢大2003西部ガス津久見高投 手右右大分金池小で軟式野球を始める。上野ヶ丘中時代は大分明野ボーイズでプレーした。津久見高では2年夏の独自大会で優勝。西部ガスではリリーフ投手として活躍。
東山玲士2000ENEOS丸亀高→同志社大投 手右右坂出川津小で軟式野球を始める。坂出中時代も軟式でプレーした。丸亀高では1年夏の県大会に登板し、秋からはエースとなるも、肩を痛めて3年ではあまり登板できなかった。同志社大では2年秋からリーグ戦に登板。リーグ通算4勝8敗。ENEOSでは1年目から公式戦に登板。
平元銀次郎1999日本通運広陵高→法政大投 手左左福智金田小2年で野球を始める。金田中時代はフレッシュリーグでプレーした。広陵高では1年夏からリリーフ投手として登板、3年夏に甲子園準優勝。法政大では3年秋からリーグ戦に登板し、通算0勝0敗。日本通運でもリリーフ投手として活躍。 
伏見拓真 JFE西日本高岡商→中部学院大投 手右右木津小で軟式野球を始める。南星中時代も軟式で野手としてプレーした。高岡商で投手となり、2年春から公式戦に登板、3年春夏甲子園に出場。中部学院大では2年春からリーグ戦に登板。リーグ通算2勝0敗。 
藤村哲之1999東 芝愛工大名電高→横浜商大投 手左左小1で野球を始め、益富中時代は豊田シニアでプレーした。愛工大名電高では2年秋にエースとなり、3年夏は県大会準優勝。横浜商大では1年春からリーグ戦に登板、3年秋からはエース。東芝でも1年目から先発投手として活躍。
古屋敷匠真2000セガサミー八戸工大一高→法政大投 手右左蛯沢小3年で野球を始める。東北中時代は軟式でプレーした。八戸工大一高では1年秋から登板し、2年秋からエース。法政大では東京6大学リーグ通算13試合登板で0勝0敗、防御率4.42。プロ志望届を提出したが指名されず、セガサミーに入社。2年目にリリーフ投手として活躍。
増居翔太2000トヨタ自動車彦根東高→慶大投 手左左彦根稲枝東小2年で軟式野球を始める。稲枝中時代も軟式でプレーした。彦根東高では1年秋に外野手としてベンチ入りし、2年春からは控え投手として登板。同年夏、3年春と甲子園に2回出場。慶大では1年春からリーグ戦に登板。3年春には4勝をあげた。リーグ通算17勝2敗、防御率2.32。プロ志望届を提出したが指名されず、トヨタ自動車に入社。
柳橋巧人1999JR東海金沢西高→龍谷大投 手右左金沢木曵野小で軟式野球を始める。金沢大徳中時代は石川ボーイズでプレーした。金沢西高では3夏の県大会1回戦で完全試合を達成。龍谷大では1年秋からリーグ戦に登板、通算38試合登板、6勝7敗、防御率4.28。JR東海では1年目の2022年秋にU-23日本代表として台湾に遠征。
吉田聖弥2002西濃運輸伊万里農林投 手左左唐津相知小3年で軟式野球を始める。相知中時代も軟式でプレー。伊万里農林では1年春からベンチ入り。西濃運輸では2022年から3年連続都市対抗に登板。
米倉貫太2000ホンダ埼玉栄高投 手右右うきは御幸小3年で軟式野球を始める。浮羽中時代は浮羽ボーイズでプレーした。埼玉栄高に進学し、1年夏から控え投手として登板し、秋にエースとなる。ホンダでは1年目から登板。
若杉晟汰2002ENEOS明豊高投 手左右鶴見小時代に軟式野球を始める。明豊中でも軟式でプレーした。明豊高では1年秋からエース。プロ志望届を提出したが指名されず、ENEOSに入社。
鷲尾昴哉2000三菱重工West登美ヶ丘高→関西大投 手右左奈良朱雀小4年で軟式野球を始める。平城東中時代も軟式でプレーした。登美ヶ丘高では2年秋からエース。関西大では1年春からリーグ戦に登板。リーグ通算7勝3敗、防御率1.59。三菱重工Westに入社して1年目から先発投手として活躍。

選手名位置生年所 属出身校利腕球  歴
石伊雄太2000日本生命近大高専→近大工学部捕 手右右尾鷲宮ノ上小4年で軟式野球を始める。尾鷲中時代は伊勢ボーイズで捕手としてプレー。近大高専では2年秋に正捕手となり、3年夏には投手も兼任。近大工学部でも1年春から外野手としてリーグ戦に出場し、3年で捕手に復帰。秋にはMVPを獲得し、冬には大学日本代表候補に選ばれる。リーグ通算69試合、8本塁打、打率.339。ベストナイン3回。プロ志望届を提出したが指名されず、日本生命に入社。
久保田拓真1999パナソニック津田学園高→関西大捕 手右右西須磨小1年で軟式野球を始める。鷹取中時代は神戸中央シニアでプレーした。津田学園高では1年秋にベンチ入りし、2年春から正捕手。関西大では1年春からリーグ戦に出場し、2年春に正捕手となる。ベストナイン3回。プロ志望届を提出したが指名されず、パナソニックに入社、1年目から正捕手となる。
城野達哉1999西濃運輸武生商→中部大捕 手右左南越前湯尾小1年で野球を始める。今庄中時代は軟式でプレーした。武生商では1年春からベンチ入りし、3年夏は県大会ベスト4。中部大では2年春に正捕手となり、4年秋にベストナイン。西濃運輸でも1年目から正捕手となり、U-23日本代表として台湾に遠征。2年目の2023年5月のJABAベーブルース杯では5打席連続本塁打を記録した。
立松由宇1999日本生命藤代高→立正大捕 手右左松飛台小1年で軟式野球を始める。中学時代は柏シニアでプレーした。藤代高では1年秋に三塁手のレギュラーとなり、2年秋に捕手に転向。立正大では1年春からリーグ戦に出場。日本生命でも1年目から正捕手をつとめる。
南木寿也1999JR北海道桐蔭学園高→青山学院大捕 手右右中学時代は東京神宮リトルシニアでプレーした。桐蔭学園高では3年春に正捕手となったが、けがで一塁手に転向。青山学院大では2年秋から指名打者として出場。JR北海道では1年目にU-23代表に選ばれ、2023年はアジア大会代表。
新出篤史2000SUBARU函館大有斗高→専修大捕 手右右深堀小1年で軟式野球を始める。深堀中時代は函館港西シニアでプレーした。函館大有斗高では1年春からベンチ入りし、夏には正捕手となる。2年春に全道大会準優勝。専修大では2年秋からリーグ戦に出場し、4年春秋二部のベストナイン。 
野口泰司2001NTT東日本栄徳高→名城大捕 手右右知立西小1年で軟式野球を始める。知立中時代は愛知衣浦シニアでプレーし、2年の時に捕手に転向。栄徳高では1年秋から正捕手。名城大では1年春から正捕手となる。4年夏には大学日本代表としてハーレム国際大会に出場したが試合で肩を故障、秋のリーグ戦には出場できなかった。リーグ通算77試合、9本塁打、打率.269。プロ志望届を提出したものの指名されず、NTT東日本に入社。
松山翔太2000西部ガス鵬翔高→宮崎産業経営大捕 手右右 

選手名位置生年所 属出身校利腕球  歴
相羽寛太2002ヤマハ静岡高内野手右右森飯田小で軟式野球を始める。森旭が丘中時代は磐田ボーイズでプレーした。静岡高では2年夏に甲子園に出場。ヤマハでは2年目の日本選手権で活躍し、U-23日本代表に選ばれる。
大西 蓮2002JR東日本東北履正社高内野手右右加古川平荘小で軟式野球を始める。両荘中時代は播磨ボーイズでプレーした。履正社高では2年夏の全国制覇、3年選抜は中止。高校通算26本塁打。JR東日本東北では1年目から都市対抗に出場、2年目には4番を打ち、U-23日本代表にも選ばれる。
木倉朋輝1999日本生命星稜高→亜細亜大内野手右右星稜高では2年夏に甲子園に出場。亜細亜大では4年秋にベストナイン。 
黒川貴章1999セガサミー新田高→亜細亜大内野手右右伊方中時代は愛媛ボーイズでプレーする一方、陸上選手としても活躍。新田高では1年秋から三塁手のレギュラーとなる。亜細亜大では1年春からリーグ戦に出場、4年春からは4番を打つ。セガサミーでは1年目から三塁手で3番を打つ。
小中健蔵2000西濃運輸九産大九州高→西南学院大内野手右左粕屋仲原小1年でソフトボールを始めて投手となる。4年で志免ボーイズに入り、6年では福岡バッファローズでプレー。粕屋中時代は粕屋ボーイズでプレーした。九産大九州高では1年秋から三塁手のレギュラーとなる。3年では4番を打ち、南福岡大会準優勝。高校通算10本塁打。西南学院大では1年秋から三塁手のレギュラーとなり、2年秋には本塁打王を獲得して日本代表候補に選ばれる。4年秋も本塁打王。リーグ通算60試合、12本塁打、打率.324。プロ志望届を提出したが指名されず西濃運輸に入社、1年目から4藩を打つ。 
小松勇輝2000JFE東日本東海大相模高→東海大内野手右左八松小1年で軟式野球を始める。明治中時代は湘南ボーイズでプレーした。東海大相模高では1年春から遊撃手として出場し、夏には1番を打つ。3年春に甲子園に出場。東海大では1年春からリーグ戦に出場し、2年秋に二塁手のレギュラーとなる。3年で遊撃手に転じ、4年春にベストナイン。
斉藤大輝2001東 芝横浜高→法政大内野手右右横浜六つ川西小1年で軟式野球を始める。六ツ川中時代は戸塚シニアでプレーした。横浜高では1年夏から3回甲子園に出場し、2年春からは3番を打つ。法政大でも1年春からリーグ戦に出場。3年春にレギュラーとなり、4年春には6盗塁を記録。夏には大学日本代表に選ばれた。プロ志望届を提出したが指名されず、東芝に入社。 
下山悠介2000東 芝慶応高→慶大内野手右左海浜打瀬小1年で軟式野球を始める。打瀬中時代は千葉西シニアでプレーした。慶応高では1年夏から三塁手のレギュラー。慶大でも1年春からベンチ入りし、秋には三塁手のレギュラーとなる。プロ志望届を提出したが指名されず、東芝に入社。
高波寛生2000大阪ガス川越東高→関西学院大内野手左左上尾今泉小時代は軟式で投手としてプレー。上尾南中時代は春日部ボーイズで二塁手となる。川越東高時代は3年夏に南埼玉大会ベスト4。関西学院大学では2年で二塁手のレギュラーとなる。大阪ガスで遊撃手に転向。
武田登生1999日本新薬中央学院高→中央学院大内野手右左田辺第一小で軟式野球を始める。田辺高雄中時代は和歌山田辺ボーイズでプレーした。中央学院高では二塁手。中央学院大では2年秋に三塁手のレギュラーとなり、3年春から遊撃手。4年秋にリーグ優勝。日本新薬でも1年目から遊撃手で2番を打つ。
土井克也2000JFE西日本唐津商→神奈川大内野手右右唐津外町小1年で軟式野球を始め、3年で捕手となる。唐津五中時代も軟式でプレーした。唐津商では1年夏に控え選手として甲子園に出場し、3年夏は県大会準優勝。高校通算17本塁打。神奈川大では1年春から中軸を打ち、4年春はMVPを獲得。リーグ通算65試合、7本塁打、打率.285。JFE西日本では一塁手で1番を打つ。
中川拓紀1999ホンダ鈴鹿宇治山田商→中央大内野手右左伊勢小俣小で野球を始める。宇治山田商では3番を打つ。中央大では1年春からリーグ戦に出場し、秋に二塁手のレギュラーとなる。ホンダ鈴鹿では1年目から二塁手のレギュラーとなり、U-23日本代表では三塁手をつとめる。2023年アジア大会代表。
新田旬希1999JFE西日本市立呉高→駒沢大内野手右左口田中時代は広島八幡シニアでプレーした。市立呉高では4番を打ち、3年春の甲子園に出場。駒沢大では1年春から指名打者としてリーグ戦に出場し、2年春に正捕手。3年秋に三塁手に転向した。プロ志望届を提出したが指名されず、JFE西日本に入社。
古川智也2000三菱自動車岡崎広島新庄高→慶大内野手右右広島新庄高では1年夏に三塁手として甲子園に出場。慶大では2年春からリーグ戦に出場し、4年春に二塁手のレギュラーとなる。リーグ通算41試合、1本塁打、打率.296。三菱自動車岡崎では1年目から3番を打つ。 
水島滉陽2001NTT西日本拓大紅陵高→東京情報大内野手右左府中新町小で軟式野球を始め、のち武蔵府中リトルに入る。府中五中では武蔵府中シニアでプレーした。NTT西日本に入社し、2024年から遊撃手。
山田健太2000日本生命大阪桐蔭高→立教大内野手右右稲沢千代田小2年で軟式野球を始める。千代田中時代は東海ボーイズでプレーした。大阪桐蔭高では1年秋にレギュラーとなり、2年春から4季連続して甲子園に出場して優勝3回。立教大では1年春からリーグ戦に出場。4年夏は大学日本代表。リーグ通算83試合、9本塁打、打率.291。プロ志望届を提出したず指名されず、日本生命に入社。1年目から二塁手のレギュラーとして活躍。


選手名位置生年所 属出身校利腕球  歴
猪原隆雅2000ミキハウス大冠高→日体大外野手右右大冠高では1年夏から捕手として公式戦に出場し、秋には正捕手となる。日体大で外野手に転向、主将をつとめ、4年春に首位打者を獲得。ベストナイン2回。ミキハウスでは1年目からレギュラーとなり、U-23代表の4番を打つ。23年はアジア大会代表。
斎田海斗1999TDK仙台育英高→東日本国際大外野手右左熊倉小4年で白河リトルに入る。西郷一中時代は軟式でプレーした。仙台育英高では2年秋から5番を打つ。東日本国際大では1年春から外野手のレギュラーとなり、2年春には本塁打王。打点王、盗塁王を獲得。ベストナイン3回。TDKでも1年目からライトのレギュラーとなり、2022年U-23日本代表。
住谷湧也2001西濃運輸近江高外野手左左大宝小で軟式野球を始める。栗東西中時代は滋賀栗東ボーイズでプレーした。近江高では甲子園に3回出場。
陶山勇軌1999日本製鉄鹿島常総学院高→明大外野手右左横浜鶴見小で軟式野球を始める。鶴見中時代は東京城南ボーイズでプレーした。常総学院高では2年春夏甲子園に出場。明大を経て、日本製鉄鹿島に入社。
滝沢虎太朗1999ENEOS山梨学院高→早大外野手右左南野川小1年で軟式野球を始める。東山田中時代は青葉緑東リトルシニアで投手兼遊撃手としてプレーした。山梨学院高では1年春から内野手のレギュラーとなる。のち外野手に転向。早大では2年春からリーグ戦に出場し、秋から外野手のレギュラーに。リーグ通算3本塁打。ENEOSでは1年目からレフトのレギュラーとして出場。
門叶直己2000東海理化瀬戸内高→上武大外野手右右広島吉島小でソフトボールを始める。吉島時代は軟式でプレーした。瀬戸内高では3年春に甲子園に出場。上武大では4年春に首位打者と本塁打王を獲得。東海理化でも4番を打つ。
徳丸天晴2003NTT西日本智弁和歌山高外野手右右大阪成育小3年で野球を始める。6年ときタイガースジュニアに所属。蒲生中時代は大阪東ボーイズでプレーし、投手兼外野手。智弁和歌山高では1年春からレフトで4番を打つ。
中尾勇介2000東京ガス山梨学院高→日大外野手右右吹田南千里小で軟式野球を始める。南千里中時代は大阪東淀川ボーイズでプレーした。山梨学院高では甲子園に2回出場。
橋本典之2000大阪ガス出雲高→慶大外野手左左小1で野球を始め、大社中時代は南都機でフレーした。出雲高では1年秋から外野手のレギュラーとなる。慶大でも1年春からリーグ戦に出場し、4年春に外野手のレギュラーとなった。大阪ガスでも1年目から1番を打つ。
福本綺羅2003東海理化明石商外野手左左姫路高岡小で軟式野球を始める。高丘中時代も軟式でプレーした。明石商では2年夏の交流戦に出場。
藤本 舜1999日本生命秀岳館高→中部学院大外野手右左山川小1年で軟式野球を始める。良山中時代は久留米東ボーイズでプレーした。秀岳館高では3年春に甲子園に出場したが、夏はベンチ外。中部学院大では1年春から活躍。4年秋には首位打者を獲得して、MVPに選ばれた。日本生命でも1年目から1番を打つ。
山内 慧2000JR東日本美来工科高→専修大外野手右右北中城小で軟式野球を始める。北中城中時代も軟式でプレーした。美来工科高ではエースとして2年秋に県大会優勝、3年夏は県大会準優勝で甲子園に出場できなかった。専修大で外野手に転向し、3年秋にリーグ戦に初出場。JR東日本に入社し、1年目の都市対抗で若獅子賞を受賞した。 
山本ダンテ武蔵2000パナソニック大阪桐蔭高→国学院大外野手右右江田島三高小時代はソフトボール選手。三高中時代は広島瀬戸内シニアでプレーした。大阪桐蔭高では3年春甲子園に出場し、選抜では優勝。パナソニックでは1年目に右ひじのトミー・ジョン手術を受けたものの、9月には日本選手権で指名打者として出場。
山本 仁2001アスミビルダーズ京都翔英高外野手右左大正東中時代は大正シニアでプレーした。京都翔英高では1年秋から3番を打ち、3年夏には4番。兄は山本祐大(DeNA)。
若林将平2000日本新薬履正社高→慶応大外野手右右大阪都島小で軟式野球を始める。都島中時代は大淀ボーイズでプレーした。履正社高では3年春に選抜で優勝。高校通算25本塁打。慶大では1年春からリーグ戦に出場するも、通算0本塁打。日本新薬では4番を打つ。