阿部雄大 | あべ・ゆうだい | ENEOS | 酒田南高 | 投 手 | 2000 | 左左 |
鶴岡朝暘一小4年で野球を始める。鶴岡三中時代は軟式でプレーした。酒田南高では1年秋からエース。ENEOSでは1年目から日本選手権に登板。 | ||||||
有本雄大 | ありもと・ゆうだい | ヤマハ | おかやま山陽高→東北福祉大 | 投 手 | 2000.11.27 | 右右 |
新山小で軟式野球を始める。おかやま山陽高では2年夏に背番号11で甲子園に出場(登板なし)。秋にエースとなり、3年春に甲子園に出場した。東北福祉大では3年春からリーグ戦に登板。リーグ通算1勝1敗。 | ||||||
池村健太郎 | いけむら・けんたろう | トヨタ自動車 | 宇部鴻城高→愛知学院大 | 投 手 | 2001.11.1 | 左左 |
防府大道小で軟式野球を始める。大道中時代も軟式でプレーした。宇部鴻城高では甲子園に出場。愛知学院大ではリーグ通算32試合登板、13勝12敗、防御率1.98。ベストナイン1回。 | ||||||
伊東佳希 | いとう・よしき | 東京ガス | 旭川北高→星槎道都大 | 投 手 | 2001.6.22 | 右右 |
滝川三小で野球を始める。遠軽中時代は軟式でプレー。旭川北高では2年秋にエースとなる。星槎道都大では1年秋からリーグ戦に登板し、4勝をあげる。4年では主将。リーグ通算29試合登板、14勝4敗、防御率1.45。プロ志望届を提出したが指名されず、東京ガスに入社。 | ||||||
遠藤慎也 | えんどう・しんや | 日本新薬 | 京都翔英高→亜細亜大 | 投 手 | 2001.5.22 | 右右 |
小牧岩崎中時代は尾張ボーイズでプレー。京都翔英高では1年秋からエース。東亜大では2年春からリーグ戦に登板。リーグ通算13試合登板、2勝1敗、防御率2.48。 | ||||||
大畑 蓮 | おおはた・れん | 西部ガス | 明豊高 | 投 手 | 2001.11.26 | 右右 |
別府朝日小2年で軟式野球を始め、明豊中時代も軟式でプレーした。明豊高では2年春から登板し、3年春は選抜ベスト4。西部ガスでも1年目から都市対抗に出場。 | ||||||
小倉悠史 | おぐら・ゆうし | パナソニック | 同志社国際高→同志社大 | 投 手 | 2001.3.5 | 左左 |
米国在住の小3で野球を始める。中2で帰国してバスケットボール選手となり、同志社国際高では2年夏からエース。同志社大では2年秋からリーグ戦に登板し、4年秋には4勝をあげる。パナソニックでは1年目から活躍。 | ||||||
尾崎完太 | おざき・かんた | セガサミー | 滋賀学園高→法政大 | 投 手 | 2001.4.20 | 左左 |
吹田桃山台小で軟式野球を始める。南千里中時代は豊中シニアでプレーした。滋賀学園高では2年夏に背番号11で登板し、秋からエース。法政大では1年秋からリーグ戦に登板。リーグ通算42試合登板、8勝6敗、防御率3.21。プロ志望届を提出したが指名されず、セガサミーに入社。 | ||||||
加藤泰靖 | かとう・たいせい | トヨタ自動車 | 志学館高→上武大 | 投 手 | 2000.12.28 | 右右 |
木更津一小で軟式野球を始め、木更津一中時代も軟式でプレーした。志学館高2年春に捕手から投手に転向。上武大では1年秋からリーグ戦に登板し、2年秋からエース。3年秋には防御率0.44でMVPを獲得した。 | ||||||
加藤優弥 | かとう・ゆうや | 日本製鉄 東海REX | 金沢龍谷高 | 投 手 | 2002.5.29 | 右右 |
西枇杷島小2年で軟式野球を始める。西枇杷島中時代は津ボーイズでプレーした。プロ志望届を提出したが指名されず、日本製鉄東海REXに入社。 | ||||||
神野竜速 | かみの・りゅうどう | 東 芝 | 西武大千葉高→神奈川大 | 投 手 | 2001.2.19 | 右左 |
横浜岡村小で軟式野球を始める。岡村中時代は横浜南シニアでプレー。西武台千葉高では2年夏から公式戦に登板。3年春の地区大会で6回参考記録ながら完全試合を達成。神奈川大では1年春からリーグ戦に登板し、3年春からは先発投手として活躍。リーグ通算45試合登板、15勝7敗、防御率2.11。ベストナイン2回。プロ志望届を提出したが指名されず、東芝に入社。 | ||||||
河浦圭佑 | かわうら・けいすけ | JR東日本 | 小倉高 | 投 手 | 2000.12.8 | 右右 |
北九州足原小ではソフトボール選手。霧丘中では軟式でプレーした。小倉高では1年秋にベンチ入りし、2年秋にエースとなって、3年春には県大会で優勝した。 | ||||||
河北将太 | かわきた・しょうた | エイジェック | 浦和学院高→東洋大 | 投 手 | 2000.6.14 | 右右 |
上里東小2年で軟式野球を始める。上里北中時代は上里北武ボーイズでプレーした。浦和学院高では3年夏に甲子園に出場。東洋大ではリーグ通算28試合登板、3勝4敗、防御率2.86。エイジェックでは1年目にSUBARUに補強されて都市対抗に出場、日本選手権にも出場した。 | ||||||
川原嗣貴 | かわはら・しき | ホンダ鈴鹿 | 大阪桐蔭高 | 投 手 | 2004.6.30 | 右左 |
吹田東山田小で軟式野球を始める。千里丘中時代は北摂シニアでプレーした。大阪桐蔭高では2年春から公式戦に登板し、3年春は優勝。U-18日本代表となりプロ志望届を提出したが指名されず、ホンダ鈴鹿に入社。 | ||||||
川船龍星 | かわふね・りゅうせい | 日本通運 | 松本第一高→拓殖大 | 投 手 | 2000.2.17 | 右右 |
松本開智小で松本東リトルに入る。松本丸ノ内中時代は松本南シニアでプレーした。拓殖大では1年春からリーグ戦に登板。日本通運では1年目から都市対抗に登板。 | ||||||
漢人友也 | かんど・ともや | ホンダ鈴鹿 | 常葉大菊川高→中京大 | 投 手 | 2000.5.3 | 右左 |
掛川桜木小で軟式野球を始める。桜が丘中時代も軟式でプレーした。常葉大菊川高では2年春からエースで、3年夏の甲子園に出場。中京大では1年秋からリーグ戦に登板。プロ志望届を提出したが指名されず、ホンダ鈴鹿に入社。 | ||||||
九谷 瑠 | くたに・りゅう | 王 子 | 堅田高→大阪大谷大 | 投 手 | 1999.11.5 | 右左 |
後藤凌寿 | ごとう・りょうじゅ | トヨタ自動車 | 四日市商→東北福祉大 | 投 手 | 2002.2.16 | 右右 |
四日市県小で軟式野球を始める。東北福祉大では1年秋からリーグ戦に登板。リーグ通算16試合登板、7勝1敗、防御率0.98。2024年トヨタ自動車に入社し、U-23代表 | ||||||
佐藤亜蓮 | さとう・あれん | TDK | 由利工→仙台大 | 投 手 | 2001.2.8 | 右右 |
下川大内小3年で軟式野球を始める。大内中時代も軟式でプレーした。由利工では3年選抜に出場。仙台大ではリーグ通算16試合登板、3勝1敗、防御率2.70。 | ||||||
沢山優介 | さわやま・ゆうすけ | ヤマハ | 掛川西高 | 投 手 | 2003.10.15 | 左左 |
浜松城北小で軟式野球を始める。浜松北部中時代も軟式でプレーした。掛川西高では2年夏から登板し、秋にエースとなる。ヤマハでは3年目の2024年に都市対抗に出場。 | ||||||
庄司 魁 | しょうじ・かいと | 西濃運輸 | 山形城北高→石巻専修大 | 投 手 | 2000.8.22 | 左左 |
仙台鶴谷中時代は宮城シニアでプレー。山形城北高ではあまり登板できず、石巻専修大では2年秋からリーグ戦に登板し、4年春からリリーフエース。 | ||||||
高山陽成 | たかやま・ようせい | JR東日本 | 作新学院高→明大 | 投 手 | 2001.3.2 | 右右 |
那須塩原東小で軟式野球を始め、投手兼捕手。西那須野中時代も軟式でプレーし、捕手兼投手で3番を打つ。作新学院高では3年夏にエースとして甲子園に出場。明大では4年春にリーグ戦に初登板。リーグ通算1勝0敗。 | ||||||
竹丸和幸 | たけまる・かずゆき | 鷺宮製作所 | 崇徳高→城西大 | 投 手 | 2002.2.26 | 左左 |
広島矢賀小2年で軟式野球を始める。広島二葉中時代も軟式でプレーした。崇徳高、城西大を経て、鷺宮製作所に入社し、1年目の後半から先発投手として活躍。 | ||||||
田中大聖 | たなか・やまと | ホンダ鈴鹿 | 鶴岡東高→太成学院大 | 投 手 | 2002.1.29 | 右左 |
藤井寺小で軟式野球を始める。藤井寺三中時代は河南シニアでプレーした。鶴岡東高では3年夏に控え選手として甲子園に出場。太成学院大では投打で活躍。プロ志望届を提出したが指名されず、ホンダ鈴鹿に入社。 | ||||||
谷脇弘起 | たにわき・こうき | 日本生命 | 那賀高→立命館大 | 投 手 | 2001.11.25 | 右左 |
和歌山宮小2年で軟式野球を始める。日進中時代はヤングリーグでプレーした。那賀高では2年秋からエース。立命館大では2年春からリーグ戦に登板し、4年秋の対同志社大戦でノーヒットノーランを達成。リーグ通算35試合登板、8勝8敗、防御率2.29。日本生命では1年目の2024年にU-23日本代表として優勝。 | ||||||
寺嶋大希 | てらしま・だいき | NTT東日本 | 愛工大名電高 | 投 手 | 2003.4.9 | 右右 |
安曇野穂高南小で穂高リトルに入る。穂高東中時代は安曇野穂高シニアでプレーした。愛工大名電高では3年夏に甲子園に出場。NTT東日本では1年目秋に右ひじを痛めた。 | ||||||
中岡大河 | なかおか・たいが | JR西日本 | 広島商→富士大 | 投 手 | 2001.12.9 | 右右 |
広島可部中時代は軟式でプレー。広島商では3年夏に背番号10で甲子園に出場。富士大では2年春からリーグ戦に登板し、4年春には5勝をあげてMVPを獲得。リーグ通算25試合登板、12勝0敗、防御率1.31、ベストナイン1回。プロ志望届を提出したが指名されず、JR西日本に入社。 | ||||||
中島悠貴 | なかじま・ゆうき | 茨城トヨペット | 日大高→日大 | 投 手 | 2000 | 左左 |
名古屋鳥が丘小で軟式野球を始める。横浜領家中時代も軟式でプレーした。日大高では1年夏からベンチ入り。日大での登板は3試合のみ。茨城トヨペットに入社、2年目の2024年エイジェックに補強されて都市対抗にも出場した。 | ||||||
生井惇己 | なまい・じゅんき | 日立製作所 | 慶応高→慶大 | 投 手 | 2000.7.25 | 左左 |
下妻宗道小1年で軟式野球を始める。千代川中時代は常総シニアでプレーし、3年春に全国大会に出場。慶応高では1年秋にベンチ入りし、2年秋からエースとなって、3年春夏甲子園に出場。慶大では1年秋からリーグ戦に登板。リーグ通算0勝1敗、防御率2.88。4年春に左肘を怪我してトミー・ジョン手術を受けたため秋のリーグ戦には登板せず、日立製作所に入社。1年目の8月に復帰した。 | ||||||
西 隼人 | にし・はやと | 三菱重工West | 福岡大大濠高→関西学院大 | 投 手 | 2000.10.13 | 右左 |
糸島前原小3年で軟式野球を始める。前原西中時代はヤングリーグの西福岡メッツでプレーした。福岡大大濠高では1年秋にセンターでベンチ入りし、2年春に外野手としてし甲子園に出場。関西学院大では2年秋からリーグ戦に登板し、4年春からエース。リーグ通算5勝9敗、防御率2.52。 | ||||||
西村王雅 | にしむら・おうが | 東 芝 | 智弁学園高 | 投 手 | 2004.1.17 | 左左 |
宇治御蔵山小で軟式野球を始める。東宇治中時代は京都シニアでプレーした。智弁学園高では1年夏から甲子園に出場し、3年夏は準優勝。東芝に入社して1年目から公式戦に登板。2024年U-23日本代表。 | ||||||
野中太陽 | のなか・たいよう | 三菱重工East | 太成学院大高→大阪商大 | 投 手 | 2001.7.31 | 右右 |
門真北巣本小で軟式野球を始める。門真五中時代も軟式でプレーした。 | ||||||
萩原健汰 | KMGホールディングス | 松本第一高→日大 | 投 手 | 2000 | 左左 | |
信越クラブを経て、2025年はKMGホールディングスでプレー。 | ||||||
林田夢大 | はやしだ・ゆうと | 西部ガス | 津久見高 | 投 手 | 2003.5.17 | 右右 |
大分金池小で軟式野球を始める。上野ヶ丘中時代は大分明野ボーイズでプレーした。津久見高では2年夏の独自大会で優勝。西部ガスではリリーフ投手として活躍。 | ||||||
冨士隼斗 | ふじ・はやと | 日本通運 | 大宮東高→平成国際大 | 投 手 | 2002.3.10 | 右右 |
さいたま上小小で軟式野球を始める。桜木中時代も軟式でプレーした。大宮東高では背番号19。平成国際大に進学して2年秋からリーグ戦に登板。3年秋にエースとなって4勝をあげ、関東学園大戦ではノーヒットノーランを達成。リーグ通算28試合登板、9勝5敗、防御率2.50。プロ志望届を提出したが指名されず、日本通運に入社。2年目の2025年にエースとなる。 | ||||||
古谷龍之介 | ふるたに・りゅうのすけ | JR東日本 | 北星学園大付高→東北学院大 | 投 手 | 2001.9.17 | 右右 |
北見北中時代は軟式でプレー。北星学園大付高では3年夏に支部予選でノーヒットノーランを記録。東北学院大では2年春からリーグ戦に登板。プロ志望届を提出したが指名されず、JR東日本に入社。 | ||||||
古屋敷匠真 | ふるやしき・たくま | セガサミー | 八戸工大一高→法政大 | 投 手 | 2000.1.1 | 右左 |
蛯沢小3年で野球を始める。東北中時代は軟式でプレーした。八戸工大一高では1年秋から登板し、2年秋からエース。法政大では東京6大学リーグ通算13試合登板で0勝0敗、防御率4.42。プロ志望届を提出したが指名されず、セガサミーに入社。2年目にリリーフ投手として活躍。 | ||||||
本間悠貴 | ほんま・ゆうき | 大阪ガス | 大冠高→天理大 | 投 手 | 2001.8.29 | 左左 |
高槻桂本小で軟式野球を始める。高槻七中時代も軟式でプレーした。大冠高では野手で、天理大で投手に転向。4年秋には5勝をあげてMVPを獲得した。大阪ガスでも1年目から活躍。 | ||||||
増居翔太 | ますい・しょうた | トヨタ自動車 | 彦根東高→慶大 | 投 手 | 2000.5.25 | 左左 |
彦根稲枝東小2年で軟式野球を始める。稲枝中時代も軟式でプレーした。彦根東高では1年秋に外野手としてベンチ入りし、2年春からは控え投手として登板。同年夏、3年春と甲子園に2回出場。慶大では1年春からリーグ戦に登板。3年春には4勝をあげた。リーグ通算44試合登板、17勝2敗、防御率2.32。プロ志望届を提出したが指名されず、トヨタ自動車に入社。 | ||||||
松田賢大 | まつだ・けんと | バイタルネット | 日大鶴ヶ丘高 | 投 手 | 2001.9.7 | 左左 |
2024年U-23日本代表。 | ||||||
真野凜風 | まの・りんか | 日本生命 | 天理高軟式→同志社大 | 投 手 | 2002.1.8 | 右右 |
奈良教育大付小で軟式野球を始める。飛鳥中時代も軟式でプレーした。天理高でも軟式で外野手兼投手としてプレーし、全国大会ベスト4。同志社大で硬式に転向し、2年春からリーグ戦に登板。プロ志望届を提出したが指名されず、日本生命に入社。 | ||||||
米倉貫太 | よねくら・かんた | ホンダ熊本 | 埼玉栄高 | 投 手 | 2000.8.4 | 右右 |
うきは御幸小3年で軟式野球を始める。浮羽中時代は浮羽ボーイズでプレーした。埼玉栄高に進学し、1年夏から控え投手として登板し、秋にエースとなる。ホンダでは1年目から登板。2024年ホンダ熊本に転籍。 | ||||||
若杉晟汰 | わかすぎ・せいた | ENEOS | 明豊高 | 投 手 | 2002.5.16 | 左右 |
鶴見小時代に軟式野球を始める。明豊中でも軟式でプレーした。明豊高では1年秋からエース。プロ志望届を提出したが指名されず、ENEOSに入社。 | ||||||
鷲尾昴哉 | わしお・こうや | 三菱重工West | 登美ヶ丘高→関西大 | 投 手 | 2000.5.21 | 右左 |
奈良朱雀小4年で軟式野球を始める。平城東中時代も軟式でプレーした。登美ヶ丘高では2年秋からエース。関西大では1年春からリーグ戦に登板。リーグ通算7勝3敗、防御率1.59。三菱重工Westに入社して1年目から先発投手として活躍。 |
有馬 諒 | ありま・りょう | ENEOS | 近江高→関西大 | 捕 手 | 2001.4.3 | 右右 |
西大寺北小1年で軟式野球を始める。平城中時代はヤングリーグの奈良ウィングでプレーした。近江高では1年秋に正捕手となり、林優樹(楽天)とバッテリーを組んで甲子園に3回出場。関西大では1年秋からリーグ戦に出場し、2年秋に正捕手となる。リーグ通算68試合出場、打率.324。プロ志望届を提出したが指名されず、ENEOSに入社。 | ||||||
小出翔暉 | こいで・しょうき | パナソニック | 東海大菅生高→ 亜細亜大 | 捕 手 | 2001.6.23 | 右左 |
中島小で野球を始める。萩原中時代は愛知木曽川リトルシニアでプレーした。東海大菅生高では通算28本塁打。亜細亜大ではリーグ通算53試合、1本塁打、打率.237、ベストナイン1回。 | ||||||
新出篤史 | にいで・あつし | SUBARU | 函館大有斗高 →専修大 | 捕 手 | 2000.11.14 | 右右 |
深堀小1年で軟式野球を始める。深堀中時代は函館港西シニアでプレーした。函館大有斗高では1年春からベンチ入りし、夏には正捕手となる。2年春に全道大会準優勝。専修大では2年秋からリーグ戦に出場し、4年春秋二部のベストナイン。 | ||||||
萩原義輝 | はぎはら・よしあき | 東 芝 | 東海大相模高→ 流通経済大 | 捕 手 | 2001.4.6 | 右左 |
東海大相模高では捕手兼内野手。流通経済大では1年秋に正捕手となる。リーグ通算77試合、4本塁打、打率.325、ベストナイン3回。 | ||||||
松山翔太 | まつやま・しょうた | 西部ガス | 鵬翔高→ 宮崎産業経営大 | 捕 手 | 2000.8.8 | 右右 |
宮崎北中時代は宮崎県央ボーイズでプレー。鵬翔高では1年秋に正捕手となる。2025年U-23日本代表。 |
相羽寛太 | あいば・かんた | ヤマハ | 静岡高 | 内野手 | 2002.9.21 | 右右 |
森飯田小で軟式野球を始める。森旭が丘中時代は磐田ボーイズでプレーした。静岡高では2年夏に甲子園に出場。ヤマハでは2年目の日本選手権で活躍し、U-23日本代表に選ばれる。 | ||||||
石井 巧 | いしい・たくみ | NTT東日本 | 作新学院高→中央大 | 内野手 | 2002.3.2 | 右右 |
那珂川小川南小で軟式野球を始める。小川中時代も軟式でプレーした。作新学院高では2年連続して夏の甲子園に出場。中央大ではプロ志望届を提出したが指名されず、NTT東日本に入社。1年目の2024年U-23日本代表。 | ||||||
内海貴斗 | うつみ・たかと | 東京ガス | 横浜高→法政大 | 内野手 | 2002.1.18 | 右左 |
末吉小で軟式野球を始める。末吉中時代は世田谷シニアでプレーした。横浜高では1年春からベンチ入りし、秋から一塁手のレギュラーとなる。2年秋からは4番。法政大では3年春からリーグ戦に出場。リーグ通算32試合、5本塁打、打率.216、ベストナイン1回。東京ガスでも1年目から4番を打つ。 | ||||||
大西 蓮 | おおにし・れん | JR東日本東北 | 履正社高 | 内野手 | 2002.4.2 | 右右 |
加古川平荘小で軟式野球を始める。両荘中時代は播磨ボーイズでプレーした。履正社高では2年夏の全国制覇、3年選抜は中止。高校通算26本塁打。JR東日本東北では1年目から都市対抗に出場、2年目には4番を打ち、U-23日本代表にも選ばれる。 | ||||||
熊田任用 | くまだ・とうよう | トヨタ自動車 | 東邦高→早大 | 内野手 | 2001.4.15 | 右左 |
岐阜長森東小で愛知一宮ボーイズに入る。長森中時代は岐阜青山ボーイズでプレーした。東邦高では2年春と3年春に甲子園に出場、3年春は優勝しU-18日本代表。早大では1年春に遊撃手のレギュラーとなり、3年春からは1番を打つ。4年でU-23代表。リーグ通算83試合、8本塁打、打率.258、ベストナイン2回。プロ志望届を提出したが指名されず、トヨタ自動車に入社。 | ||||||
小松勇輝 | こまつ・ゆうき | JFE東日本 | 東海大相模高→東海大 | 内野手 | 2000.10.7 | 右左 |
八松小1年で軟式野球を始める。明治中時代は湘南ボーイズでプレーした。東海大相模高では1年春から遊撃手として出場し、夏には1番を打つ。3年春に甲子園に出場。東海大では1年春からリーグ戦に出場し、2年秋に二塁手のレギュラーとなる。3年で遊撃手に転じ、4年春にベストナイン。 | ||||||
斉藤大輝 | さいとう・だいき | 東 芝 | 横浜高→法政大 | 内野手 | 2001.3.21 | 右右 |
横浜六つ川西小1年で軟式野球を始める。六ツ川中時代は戸塚シニアでプレーした。横浜高では1年夏から3回甲子園に出場し、2年春からは3番を打つ。法政大でも1年春からリーグ戦に出場。3年春にレギュラーとなり、4年春には6盗塁を記録。夏には大学日本代表に選ばれた。プロ志望届を提出したが指名されず、東芝に入社。 | ||||||
下山悠介 | しもやま・ゆうすけ | 東 芝 | 慶応高→慶大 | 内野手 | 2000 | 右左 |
海浜打瀬小1年で軟式野球を始める。打瀬中時代は千葉西シニアでプレーした。慶応高では1年夏から三塁手のレギュラー。慶大でも1年春からベンチ入りし、秋には三塁手のレギュラーとなる。プロ志望届を提出したが指名されず、東芝に入社。 | ||||||
高波寛生 | たかなみ・かんせい | 大阪ガス | 川越東高→関西学院大 | 内野手 | 2000.12.11 | 左左 |
上尾今泉小時代は軟式で投手としてプレー。上尾南中時代は春日部ボーイズで二塁手となる。川越東高時代は3年夏に南埼玉大会ベスト4。関西学院大学では2年で二塁手のレギュラーとなる。大阪ガスで遊撃手に転向。 | ||||||
高橋隆慶 | たかはし・たかのり | JR東日本 | 明秀日立高→中央大 | 内野手 | 2001.12.21 | 右右 |
古河牛谷小で軟式野球を始める。総和北中時代も軟式でプレーした。中央大ではリーグ通算70試合、4本塁打。打率.267。プロ志望届を提出したが指名されず、JR東日本に入社。1年目から4番を打ち、U-23日本代表。 | ||||||
土井克也 | どい・かつや | JFE西日本 | 唐津商→神奈川大 | 内野手 | 2000.9.12 | 右右 |
唐津外町小1年で軟式野球を始め、3年で捕手となる。唐津五中時代も軟式でプレーした。唐津商では1年夏に控え選手として甲子園に出場し、3年夏は県大会準優勝。高校通算17本塁打。神奈川大では1年春から中軸を打ち、4年春はMVPを獲得。リーグ通算65試合、7本塁打、打率.285。JFE西日本では一塁手で1番を打つ。 | ||||||
土居拓海 | どい・たくみ | JR西日本 | 広島新庄高 | 内野手 | 2001.8.28 | 右右 |
小1でソフトボールを始める。広島新庄高では三塁手で3番を打つ。JR西日本では3年目に三塁手のレギュラーとなる。 | ||||||
成瀬脩人 | なるせ・しゅうと | NTT西日本 | 東海大菅生高→東海大 | 内野手 | 2001.5.23 | 右右 |
甚目寺中時代は稲沢シニアでプレーした。東海大ではリーグ通算36試合、1本塁打、打率.221。NTT西日本では1年目から二塁手のレギュラー。 | ||||||
古川智也 | ふるかわ・ともや | 三菱自動車岡崎 | 広島新庄高→慶大 | 内野手 | 2000 | 右右 |
広島新庄高では1年夏に三塁手として甲子園に出場。慶大では2年春からリーグ戦に出場し、4年春に二塁手のレギュラーとなる。リーグ通算41試合、1本塁打、打率.296。三菱自動車岡崎では1年目から3番を打つ。 | ||||||
松浦佑星 | まつうら・ゆうせい | ENEOS | 富島高→日体大 | 内野手 | 2001.10.6 | 右左 |
西都三納小で軟式野球を始める。富島高では1年秋から遊撃手で1番を打ち、3年夏に甲子園に出場。日体大でも1年秋から遊撃手のレギュラーとなり、リーグ通算57試合、1本塁打、打率.281、ベストナイン2回。プロ志望届を提出したが指名されず、ENEOSに入社。 | ||||||
水島滉陽 | みずしま・こうよう | NTT西日本 | 拓大紅陵高→東京情報大 | 内野手 | 2001 | 右左 |
府中新町小で軟式野球を始め、のち武蔵府中リトルに入る。府中五中では武蔵府中シニアでプレーした。NTT西日本に入社し、2024年から遊撃手。 |
天井一輝 | あまい・いっぺい | NTT西日本 | 広島商→亜細亜大 | 外野手 | 2001.5.30 | 右左 |
広島観音小で軟式野球を始める。観音中時代も軟式でプレーした。広島商では甲子園に出場。亜細亜大ではリーグ通算83試合、5本塁打、打率.267。ベストナイン2回。4年夏に大学日本代表。 | ||||||
猪原隆雅 | いはら・りゅうが | ミキハウス | 大冠高→日体大 | 外野手 | 2000.2.3 | 右右 |
大冠高では1年夏から捕手として公式戦に出場し、秋には正捕手となる。日体大で外野手に転向、主将をつとめ、4年春に首位打者を獲得。ベストナイン2回。ミキハウスでは1年目からレギュラーとなり、U-23代表の4番を打つ。23年はアジア大会代表。 | ||||||
海老根優大 | えびね・ゆうだい | SUBARU | 大阪桐蔭高 | 外野手 | 2004.9.11 | 右右 |
こてはし台小6年で野球を始める。こてはし台中時代は京葉ボーイズでプレーし、3年のときNOMOジャパン代表に選ばれる。大阪桐蔭高では2年秋に外野手のレギュラーとなり4番を打つ。U-18日本代表。プロ志望届を提出したが、指名されずSUBARUに入社。 | ||||||
大森廉也 | おおもり・れんや | JFE東日本 | 市立船橋高→駒沢大 | 外野手 | 2001.12.30 | 左左 |
八千代大和田西小で軟式野球を始める。大和田中時代は東都京葉ボーイズでプレーした。駒沢大では3年春に首位打者を獲得。リーグ通算61試合、0本塁打、打率.254。ベストナイン2回。 | ||||||
田中多聞 | たなか・たもん | JFE西日本 | 呉港高 | 外野手 | 2004.10.24 | 右右 |
近大付属小で軟式野球を始める。大体大浪商中時代はクラブチームでプレーした。呉港高では通算48本塁打を記録、プロ志望届を提出したが指名されず、JFE西日本に入社。1年目から都市対抗に出場。 | ||||||
門叶直己 | とがの・なおき | 東海理化 | 瀬戸内高→上武大 | 外野手 | 2000.8.11 | 右右 |
広島吉島小でソフトボールを始める。吉島時代は軟式でプレーした。瀬戸内高では3年春に甲子園に出場。上武大では4年春に首位打者と本塁打王を獲得。東海理化でも4番を打つ。 | ||||||
徳丸天晴 | とくまる・てんせい | NTT西日本 | 智弁和歌山高 | 外野手 | 2003.9.4 | 右右 |
大阪成育小3年で野球を始める。6年ときタイガースジュニアに所属。蒲生中時代は大阪東ボーイズでプレーし、投手兼外野手。智弁和歌山高では1年春からレフトで4番を打つ。 | ||||||
中尾勇介 | なかお・ゆうすけ | 東京ガス | 山梨学院高→日大 | 外野手 | 2000.11.8 | 右右 |
吹田南千里小で軟式野球を始める。南千里中時代は大阪東淀川ボーイズでプレーした。山梨学院高では甲子園に2回出場。 | ||||||
西村進之介 | にしむら・しんのすけ | ヤマハ | 栄徳高→専修大 | 外野手 | 2001.5.30 | 右左 |
名古屋原小で軟式野球を始める。原中時代も軟式でプレーした。専修大では二部リーグ通算57試合、6本塁打、打率.290。プロ志望届を提出したが指名されず、ヤマハに入社。 | ||||||
福本綺羅 | ふくもと・ひかる | 東海理化 | 明石商 | 外野手 | 2003.12.30 | 左左 |
姫路高岡小で軟式野球を始める。高丘中時代も軟式でプレーした。明石商では2年夏の交流戦に出場。 | ||||||
藤本 舜 | ふじもと・しゅん | 日本生命 | 秀岳館高→中部学院大 | 外野手 | 1999.10.9 | 右左 |
山川小1年で軟式野球を始める。良山中時代は久留米東ボーイズでプレーした。秀岳館高では3年春に甲子園に出場したが、夏はベンチ外。中部学院大では1年春から活躍。4年秋には首位打者を獲得して、MVPに選ばれた。日本生命でも1年目から1番を打つ。 | ||||||
光本将吾 | みつもと・しょうご | 東 芝 | 滋賀学園高→帝京大 | 外野手 | 2001.1.19 | 右右 |
帝京大ではリーグ通算54試合、6本塁打、打率.261。 | ||||||
村上裕一郎 | むらかみ・ゆういちろう | ENEOS | 宇和島東高→九州共立大 | 外野手 | 2001.6.14 | 右右 |
九州共立大ではリーグ通算53試合、11本塁打、打率.324、本塁打王1回、ベストナイン1回。ENEOSでも1年目からライトのレギュラーとなる。 | ||||||
山内 慧 | やまうち・けい | JR東日本 | 美来工科高→専修大 | 外野手 | 2000.3.28 | 右右 |
北中城小で軟式野球を始める。北中城中時代も軟式でプレーした。美来工科高ではエースとして2年秋に県大会優勝、3年夏は県大会準優勝で甲子園に出場できなかった。専修大で外野手に転向し、3年秋にリーグ戦に初出場。JR東日本に入社し、1年目の都市対抗で若獅子賞を受賞した。 | ||||||
山本ダンテ武蔵 | パナソニック | 大阪桐蔭高→国学院大 | 外野手 | 2000 | 右右 | |
江田島三高小時代はソフトボール選手。三高中時代は広島瀬戸内シニアでプレーした。大阪桐蔭高では3年春甲子園に出場し、選抜では優勝。パナソニックでは1年目に右ひじのトミー・ジョン手術を受けたものの、9月には日本選手権で指名打者として出場。 | ||||||
吉川海斗 | よしかわ・かいと | 日立製作所 | 慶応高→慶大 | 外野手 | 2001.4.10 | 左左 |
柏富勢小で軟式野球を始める。富勢中時代は取手シニアでプレーした。慶応高では春夏連続して甲子園に出場。日立製作所では外野手兼一塁手で、1年目の2024年U-23日本代表。 | ||||||
若林将平 | わかばやし・しょうへい | 日本新薬 | 履正社高→慶応大 | 外野手 | 2000.3.3 | 右右 |
大阪都島小で軟式野球を始める。都島中時代は大淀ボーイズでプレーした。履正社高では3年春に選抜で優勝。高校通算25本塁打。慶大では1年春からリーグ戦に出場するも、通算0本塁打。日本新薬では4番を打つ。 |