渡辺氏は全国第5位というたいへん数の多い地名由来の名字ながら、そのルーツは1か所に限定されている。 現在の大阪市の中心部である中之島付近は、かつて渡辺と呼ばれ、畿内から瀬戸内海に出るための港であった。ここに住んだ嵯峨天皇の子孫が、渡辺党という同族集団をつくったのが渡辺氏のルーツ。 一族は船を操る技術で各地に広がり、全国に渡辺一族が広がった。その中でも、とくに三河に移って松平家に仕えた三河渡辺氏が栄えた。 三河渡辺氏は、のちに家康に従って関東に転じ、江戸時代は和泉伯太藩主や尾張藩家老などになった他、一族は東日本に広がっている。 |