名字とは何か
古代の日本のヤマト王権では名字はなく、蘇我氏や物部氏の「氏(うじ))」しかありませんでした。7世紀に中央集権国家が誕生すると、新たに天皇家の分家が「姓(せい)」を名乗り、やがて「氏」は「姓」に統合されていきます。しかし、姓はもともと数が少ないうえ、次第にマイナーな姓が淘汰されて一部の姓のみが大多数を占めるようになったのです。
そこで、平安時代後期頃から「姓」とは別に「名字」を使用するようになりました。姓は天皇から与えられたもので、勝手に変えることはできませんでしたが、名字は自称にすぎず、自由につけたり変更したりすることができました。当初は貴族や武士達が使用していた名字は、室町時代には庶民の間にも広がって、家と家を区別するものとして使われるようになり、以後戦国時代にかけて爆発的に増えたいくのです。
明治になって戸籍制度が導入された際、多くの家は「名字」を戸籍として登録しています。従って、現代人の名乗っているものの大多数は「姓」ではなく「名字」なのです
こうした名字は大きく次のように分類することができます。
地名に由来する名字
日本人の名字で、最も種類が多いのが地名を起源とするものです。これにはいくつかのパターンがありますが、最も多いのは、都から地方に降った人が、住み着いた地名を名字にしたのものです。さらに、分家した次男や三男も新しい土地に移り住むと、そこの地名を名字としたため、有力な一族ほど、本家の周囲の地名を名字とした分家が多くあります。武田家や佐竹家といった鎌倉時代からの名家の系図をみると、本家近くの地名を名乗った人がたくさん出てきます。また、都からの移住者でなくても、ある土地の支配者は、自らがその土地の領主であることを明確に示すために、地名を名字として名乗りました。
地名に由来する名字は、特定の地名を発祥地としているため、比較的そのルーツを探りやすいのですが、同じ地名が他にもある、という点に注意が必要です。たとえば、「石川」という地名は各地にあるので、いろいろなところから「石川」という名字が生まれています。
また、基本的に、地名を名字にできるのはその土地の有力者のみであることが多く、ルーツとなる地名のところに行っても、その名字が極端に多いというわけではありません。
地名由来の名字にはもう一つの顔があります。それは、ある土地の出身者が別の土地に行って成功した場合、出身地の地名を名字とすることがよくありました。よその土地とは行っても、江戸時代以前にそんなに遠くに行くことはなく、多くはルーツとなった土地から少し離れている、という程度のことが多いようです。そのため、地名由来の名字の場合は、発祥地となる地名から少しだけ離れた所にその名字が固まっていることがよくあります。
地形や風景に由来する名字
地名由来についで多いのが、地形や土地の様子、自然の風景などを名字にしたものです。
ある土地に住んでいる人が、皆地名を名字とすると、集落中すべて同じ名字になってしまいます。これでは、他家と自家を区別するため、という名字の本来の意味が失われてしまいます。そこで、自分の家の場所の特徴を名字としました。
日本は山と川が多く、平地は可能な限り開墾して田畑にしたため、「山」「川」「田」などのつく名字は、数が非常に多くなっています。この他では、「池」「林」「森」「原」「浜」なども地形由来の名字でよく使われる漢字です。こうした名字は、同じような地形があればどこでも同じ名字が発生するわけで、ルーツを探るのは困難です。また、地名のルーツも多くは地形ですから、地名由来の名字と地形由来の名字はかなり重なっています。
方位や方角に由来する名字
文字通り「東西南北」などの方位を表わす名字です。基本的には地形由来の名字と同じで、同じ土地の中での家の位置関係を示したものです。
「東西南北」の他にも、「前後奥」「上中下」「右左」などもこの中に含まれます。また複合した名字として「西の方の村」で「西村」や、南東を意味する「巽」などもあり、種類はそれほど多くありませんが、名乗っている人は非常に多いのが特徴です。これらも通常は発祥地の特定は難しいです。
沖縄では、新しい分家ができた際、本家との位置関係で、「前」「後」「西」「東」などを名字の頭につけました。そのため、沖縄では、こういった漢字で始まる名字がたくさんあります。
職業に由来する名字
現代と違って、江戸時代以前は職業は基本的には世襲でした。そのため、自分の職業を名字としたものが多数あります。
古代では、犬や鳥を飼っていた「犬養」「鳥飼」「鵜飼」、朝廷の大蔵を管理した「大蔵」、荘園の管理をした「荘司」「庄司」「公文」など、公的な職業を名字としたものが主流でした。
室町時代以降、貨幣経済が発展してからは、自らの商売を名字としたものが登場しました。「○屋」とつく名字がそうで、これには、扱っている商品をつけたもの(鍋屋とか)と、自分の出身地をつけたもの(越後屋とか)があります。
明治時代になって名字を届ける際、そのまま「~屋」で届けた家もありますが、「屋」を「谷」に変えたたり(加賀谷など)、「屋」を完全に取ったり(越後など)したことも結構多く、これらは一見職業由来とは気づかないこともあります。
商人の町として栄えた、富山県射水市の旧新湊地区では、ほとんどの家が「屋」をとって名字としました。そのため、この地区には「花」「米」など、ものの名前がそのまま名字となったものがたくさんあります。また、秋田市や大阪府の岸和田市などでは「屋」を「谷」に変えて登録しました。このため、この地方の電話帳をみると、いろいろな種類の「~谷」さんが大量に並んでいます。
藤のつく名字
日本で最も多い名字である佐藤をはじめ、安藤・伊藤・江藤・加藤・工藤・後藤・近藤・斎藤など、下に「藤」がついて、「~とう・どう」と読む名字がいくつかあります。いずれも大変ポピュラーなものですが、その多くが藤原氏から生まれたものです。
平安時代は藤原氏が朝廷を完全に支配していました。そのため、公家をはじめ、下級官僚なども藤原氏ばかりで区別がつかなくなり、名字(家号)を使用して区別するようになりました。しかし、名門「藤原」の名を消し去らないよう、「藤」の漢字を残して、地名や職業と組み合わせました。たとえば、伊勢に所領のある藤原氏は、伊勢の「伊」と藤原の「藤」で「伊藤」、斎宮頭をつとめる藤原氏は「斎藤」という具合です。その後、中央でうだつのあがらない官僚は地方に行って住み着き、全国に「○藤」という名字が広がっていったのです。
僧侶の名字
江戸時代以前、僧籍に入ると俗世間を離れるために、公式に名字を捨てました。現在では武士以外も名字があったというのは定説ですが、僧侶は正式に名字のない人達でした。しかし、明治維新後は、彼らも名字を持つことが義務づけられました。僧侶は武士や庄屋階級の出身者が多く、本来の名字もあったのでしょうが、あえて仏教用語や経典にある言葉を名字として採用していることが多いようです。そのため、僧侶の名字には、仏教関係の難しい漢字や読み方のものが多くみられます。
最も多いのは「釈」で、プロ野球・広島カープで活躍した梵(そよぎ)選手の名字もこうした名字の一つです。
拝領した名字
戦で功績をあげた時などに、主君から褒美として名字を賜ることがありました。たとえば、織田信長が美濃の伊木山城を攻めた際、功をあげた2人の家臣に「伊木」という名字を与えています。1家はのちに岡山藩の家老となっています。
江戸時代になると、借金を引き受けてくれた町人に名字を与える、ということもありました。江戸時代の譜代大名の大河内家や滝脇家のように、将軍家から松平の名字をもらったため、やむを得ず「松平」と名乗っていましたが、幕府の崩壊とともに本来の名字に戻したというケースなどもあります。
この他にも、徳川家康に粥を振るまったことからもらったという静岡県の「小粥」家や、北に落ちていく源義経から授かったという岩手県の「風呂」家など、各地にあります。
江戸時代になると、殿様に砂糖を献上したら「砂糖」という名字を賜った、鯛を献上したら「鯛」という名字を賜ったなど、各地に献上品に因む名字が生まれています。
こうした、名字を与えるという行為は、殿様だけではなく、一般の武士から商家の主人など、様々な階層で行われていました。明治にって戸籍を登録する際には、武家の奉公人が主人の名字を拝領して登録する、ということもあったようです。
独特の由来を持つもの
これ以外にも、独特の由来を持つ名字があります。
名字は自分で名付けることができますから、戦で負けた際に二十里(当時の1里は400m)逃げたところで無事敵から逃れることができたため、そのまま住み着いて「二十里」を名字にしたなど、様々な由来があります。
また、「先祖の名前を名字にした」というものもあります。石川県の奥能登の豪農として知られる名家・時国家は、先祖である平時国の名前の「時国」を名字としています。こうしたものは全国にあります。
こうした独特の由来を持つ名字の場合、由来はその家だけに代々伝わるものなので、どこかで伝達がもれてしまえば、由来は誰にも解らなくなってしまいます。ぜひ、大切に子孫に伝えていってください。