実在する珍しい名字 (5)

拝領系

殿さまや偉い人から名字をもらったという名字です。
昔は、偉い人から名字をもらう、ということはそれほど珍しいことではありませんでした。もらった側も名誉なことなので、それまでの名字をやめて、新しい名字に変えたのです。
名字をもらう理由は大きく分けて2つあります。1つは殿様の名字をもらって親戚つきあいをする場合です。この場合は殿様と同じですから、あまり珍しい名字になることはありません。
もう1つは、何かの褒美として名字をもらう場合です。この場合は、褒美の対象となったことに由来した名字をもらいますから、一般にはない変わった名字になることがあります。

日本 にっぽん

江戸時代、薩摩国の小幡善作という船乗りが殿様を船に乗せました。
その時、殿様から天候を聞かれたのですが、善作は「日本晴れになる」と予測して見事当たったのでした。これに感心した殿様から「これからは日本を名字にしろ」といわれたそうです。
江戸時代って武士だけではなく、船乗りでもちゃんと名字があるんですよね。殿様を乗せるくらいですから、ただの船乗りではないと思うのですが。子孫は今でも鹿児島県に在住しています。

風呂 ふろ

「風呂」という名字は実は各地にそこそこあります。今と違って、昔は家に風呂がある、というのは贅沢だったのです。そうした風呂家のうち、岩手県遠野市の風呂家にはすごい由来があります。というのも、頼朝に追われている源義経に風呂を貸したところ、義経から「風呂」という名字をもらったというのです。
ただ、この話の問題は、遠野は義経主従が打ち取られた平泉よりもさらに北にあり、義経はそこまでたどり着いていないということなのです。

小粥 おかい/こがゆ

静岡県浜松市には「小粥」という名字がけっこうたくさんあります。この名字は徳川家康からもらった名字です。徳川家康は若いころ、武田信玄の前に木っ端みじんに敗れたことがあります。ほうほうのていで逃げた来た家康は、ある家でお粥をごちそうになりました。ほっと一息ついた家康は家の主人に「小粥」という名字を送りました。今では、「こがゆ」か「おかい」と読むことが多いですが、本来の「おかゆ」を名乗っている家もあるようです。
なお、小粥家では家紋も、お椀に箸を一膳乗せた形であるといいます。

昼間/晝間 ひるま

徳川家康にはこうした逸話がいくつかあります。
電気のない時代、夜に川を渡るのは暗くて危険ですが、家康が武蔵国で夜に川を渡ろうとしたとき、村人が集まって松明をかかげてくれたために無事に渡ることができました。感動した家康は、集まってくれた村人に対して「今日は昼間のように明るかった。これからは昼間と名乗れ」といって、村人に「昼間」という名字を与えました。たくさんの村人に「昼間」という名字を与えたため、埼玉県南部では旧字体の「晝間」とあわせて、「ひるま」さんはたくさんいます。