幽霊名字とは


幽霊名字をご存じでしょうか。
これは、1998年に刊行した「日本人の名字なるほどオモシロ事典」(日本実業出版社)の中で私が提唱した言葉です。
どういうものかというと、実在しているかのように紹介されていながら、実際にはその存在が怪しいもの、あるいは存在しないと思われるものを指しています。
ある名字が本当に存在する、ということを証明するのは比較的簡単です。実例を1つだけ示せばOKです。ある程度公的に職業についている人がいれば、本名であることを確認した上で、その人を例としてあげればOKです。特に著名人がいない場合は、「○○市に多い」とか、地域を限定して示すこともできます。疑問のある人は、その地域にいくなり、電話帳を調べるなりすれば確認することができます。
しかし、特定の名字が存在しない、ということを証明するはたいへんです。日本人1億2000万人の名字を全部調べたが1つもなかった、ということを示さなければなりませんから。個人情報保護法が制定されている今、個人(あるいは一企業)が、日本人全員の戸籍を閲覧して確認する、といううことは事実上不可能です。
ですから、誰かが「自分は見た!」と主張すれば、誰もそれを完全に否定することはできません。いろいろと状況証拠を重ねて、「本当は存在しないのでは?」とするのが限度ともいえます。
このあたりが、幽霊の目撃談に似ているため、「幽霊名字」とよんだのです。現在ではいくつかの名字関係のホームページなどでも使われており、名字愛好家?の間ではかなり定着した言葉となってきたような気がします。

では、どうして本当には存在しない名字が堂々と本に掲載されているかのでしょうか?。大きく2つの理由があれますが、両方とも意外に単純な理由です。
一つめの理由は、最近の名字事典の傾向にあります。珍しい名字を多数収録した事典はたくさん出ていますが、最近は収録数の多さを競う傾向が強くなっています。ようするに、「多い方が勝ち」みたいな風潮があるのです。ですから、名字を吟味して収録数を絞るよりは、怪しくても多い方が売れる、と事典の編集者が考えているのです。ユーザーの方も「収録数が多いほど調査が行き届いていていい事典である」と思っているような気がします。(トンデモナイ大誤解なんですが)
もう一つの理由は、苦情処理です。未収録の名字があると本人や関係者から厳しいお叱りがきます。でも、幽霊名字を掲載しても本人からは苦情がきません(だって、いないんですから)。つまり、編集者としては“安心して”掲載することができるのです。
こうした幽霊名字は結構たくさんあります。珍しい名字を紹介している本や雑誌の記事、テレビ番組などでは、よく信じられないような奇妙な名字が紹介されますが、その中には幽霊名字がたくさん混じっていたりします。「こんな名字ホントにあるの?」と思った名字は、本当はなかったりします。

でも、気をつけてください。珍しい名字がすべて幽霊名字ではありません。「六月一日」(うりはり)は幽霊名字ですが、「四月一日」(わたぬき)や「八月一日」(ほづみ)は存在します。
現在、幽霊と実在の間をさまよっているのが「一」(にのまえ)という名字です。「一」という名字については、「いち」「かず」「はじめ」は私も確認していますが、「にのまえ」さんは、タレントの芸名でしか確認できていません。しかし、「実際に見た」という方も結構います。以前テレビの収録をした際、番組内で「にのまえ」さんをクイズの前振りとして使うことになりました。そこで、スタッフに再調査を依頼したところ、かなり昔にテレビ出演したことがあるらしいが、現在では確認がとれない、ということがわかりました。その方が本名であれば、実在することになりますが、なんともはっきりしません。おそらく出演したのはタレントさんで、私は実在しないと思っています。
結局、名字をみただけでは、幽霊名字と実在の名字の差は全くわかりません。もし、実在する名字かどうかは一目みればわかる、という人がいれば、その人は間違いなく超人です。私だって、いまだによくわかりませんから。

名字の調査は幽霊名字との闘いでもあるのです。